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初めての海外ツーリング。乾いた大地を走る。 XLV750 1994.6-1995.4  24000km

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1994年09月12日

前書き 広大な大地。地平線の彼方へと続く道。日本でのツーリングには少しばかり飽きていた。日本のどこへ行っても前に来たことがあったかなと、何を見ても同じように見えてしまう感覚。日本では感じることの出来ないそんな大地に憧れていたのかも知れない。オーストラリアの写真やニュースを見るたびに思いは強くなり、真っ赤な大陸をオートバイで走ってみたいという思いになっていく。。そして1995年6月オーストラリアへ.

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1994年10月27日

ケアンズ→ダーウィン(10月18日〜10月27日) <バイクの改造とルートの選択> バックパッカーズの前で 早く通過してしまいたいと感じたケアンズに数日間滞在している。バイクの修理と改造していたからだ。まず直さなければいけないのがマフラーステー。どうやら俺のバイクのマフラーはノーマルではなかったらしく、そのためステーが弱かったらしい。これは鉄を曲げて丈夫なステーを作ってもらうことにし

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1994年11月14日

ダーウィン→ブルーム(10月28日〜11月14日) <オーストラリアのバイク屋> ダーウィンの街で バイク屋でまずフレームの溶接を依頼。この時TT250に乗った日本人ライダーも溶接に一緒に来た。彼もダートでサブフレームが折れたそうだ。自分で部品を外し、溶接だけしてもらう。自分で出来るところは自分でやったほうが安いのだ。なんてったて、オーストラリアは人件費が高いのだ。つぎに溶接が完了し

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1994年12月03日

ブルーム→パース(10月14日〜12月3日) <アリ> ブルームのキャンプ場 ケーブルビーチの夕日 ブルームで再び溶接をたのむ。こんどは見た目は少し悪いが、しっかりと溶接してもらった。バイクのフレーム以外は好調なので、この町に長居する必要はなかったが、キャンプ場のロケーションが良かったので、十日位ここでのんびりしようと決めた。キャンプ場でアリの巣をさけてテントをはる。海の近くなので

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1995年02月07日

パース→ドーニーブローク(12月4日〜2月17日) <朝7時の出会い> 話題を呼んだ謎の女性 俺はキャンプ生活の名残で、朝の6時30分には起きていた。飯を食い、シャワーをあびると朝7時。この朝7時にシャワールームでここ何日も一人の女性といつもすれちがっていた。当然、あいさつが俺の日課となる。ちなみにワカメちゃんも毎日7時ごろ彼女を見ているらしい。朝7時の謎の女性、正体はこの宿でバイト

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1995年02月28日

ドーニーブローク→ナラボー(2月) <再び旅へ> 高い木と緑が印象的 社長にやめる事を告げた。農場の人々は親切だった。俺の相棒をぬかして。相棒ともう顔をあわさないですむ事も嬉しかったが、なによりもまた一周への旅へ出られる事が嬉しかった。ドーニーの宿に気心が知れた人はハスだけになってしまった。皆、金が貯まるとサッサと出ていくからだ。ウェインはニュージーランドへ行ったし、同室の彼女たちは

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1995年03月15日

ナラボー→ブリスベン(2月〜3月) <北上> 殺風景なガソリンスタンド 休憩中 ナラボーを3日で抜け、ポートオーガスタに到着した。ここで俺はタイヤの交換と、オイルの交換をしなければならなかった。オイルの方は、約3000kmで交換していたが、一週間でとっくにお3000kmは走り、もう5000km近く走ってしまっていた。タイヤはこの先交換が、当分できそうに無いから。アリススプリングスま

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1995年4月 行程:シンガポール-ジョホールバル-マラッカ-クアンタン-クアラ・トレンガヌ-コタバル-ハジャイ-ランカウイ-クアラルンプール-シンガポール オーストラリアからシンガポール経由の飛行機で日本へ帰ったのですが、 もちろんシンガポールでストップオーバー!! シンガポールとマレーシアを楽しみたいと思ったから。 でも旅行期間が長くなってくると、 まだまだ旅行したいたいとい

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