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1991年9月12日-9月16日 5日間
Route:横浜→新潟→秋田→竜飛→奥入瀬→横浜

日本海側を新潟から北上。竜飛岬までのツーリング。

前に東北地方へ行ったときに自然の美しさに感動した。今度は日本海側を北上してみようと思った。
この頃は日本を旅することには慣れてきていたけれど、まだまだ旅のワクワクがありました。
大きな見所はそんなにないけれど、素朴な日本海側の旅は印象に残るものでした。
ただ日本海側を北上するときにもう少し天気が良かったらと良かったですね。
見所として印象にのこっているのは男鹿半島や小金崎不老不死温泉。
最近も不老不死温泉へいったのですが、昔の何もない素朴な感じが良かったですね。
日本海側はホント素朴だった印象があります。

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北上中

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北上中

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北上中

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鳥海山付近

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北上中

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北上中

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なまはげの土産屋

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不老不死温泉

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岩木山

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竜飛付近

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階段国道

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奥入瀬付近

1991年5月3日-5月6日 4日間
<Route>横浜→松本→木崎湖→美ヶ原→蓼科→横浜

 

会社員の旅

学校を卒業して会社員となりました。会社員になってはじめての休日。休みが短いなぁ、もう長期の旅は出来ないなと思いました。このころはオートバイの走りのペースが合うからか、四国で出会ったNEMOさんとしょっちゅう日帰りツーリングへ行っていたように思います。そして、だんだん気心の知れてきた NEMOさんとGWを利用して信州へ行くことになりました。まだオートバイでどこかへ行きたい、誰かと知り合いたいという思いが、この旅へとつながりました。GWに東北へ行ったことはありましたが、関東近郊である信州は非常に混雑していたように記憶しています。宿も、観光地も、とにかく混んでいる。それでも休みがココしかないのだから、この限られた時間の中で楽しむのだと思って旅をしていました。
今回のツーリングは最初から予定をくじかれた旅だったように思います。人気のある宿や泊まりたい宿は満室。だから宿の取れるところをベースに旅のプランを立て直しました。僕の旅のスタイルがギリギリで予約を入れるというスタイルだったため、信州のように行きやすい所では厳しかったのですね。しかし、信州というところはみんんが行きやすいところなのに、自然が美しい所がたくさんあり非常に良いツーリングになりました。

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松本城

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道ばたにて

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七島八島

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坪庭

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杖突峠

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道ばたにて

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1990年3月5日-28日 24日間

 

九州から沖縄へ。バイクで走る卒業旅行。

専門学校の卒業の時がきた。
休みとあればオートバイでのツーリングに明け暮れる生活を続けてきたが、
僕はまだまだオートバイでの旅をしたいと感じていた。
当時、学校の友達はみんなで海外へ卒業旅行へいくとか言っていたような気がする。
「一緒に行かない?」なんて誘われたりもしたのだけれど、
そのときの僕は、一人でのオートバイでの旅にこだわってしまっていた。
目的地は九州。90年に九州上陸は果たしたものの、あまり走ることができずに不完全燃焼していたから。
僕は学校が終わった次の日、日向行きのフェリーに乗り込み川崎を出発した。
学校の卒業試験の発表も卒業式にも出ることもなく、
ただただ、長い時間を旅していたかったような記憶がよみがえる。

<Route>
横浜→(フェリー)→日向→佐多岬→鹿児島→指宿→鹿児島→(フェリー)→那覇→残派岬→那覇→(フェリー)→石垣島→西表島→波照間島→石垣島→那覇→辺戸岬→那覇→(フェリー)→鹿児島→島原→高千穂峡→阿蘇→別府→佐賀関→三崎→瀬戸大橋→京都→横浜

 

日向-佐多岬-長崎鼻-知覧-鹿児島

日向から青島や日南海岸を南下しながら、まずは本州最南端を僕は目指した。
日南海岸は僕の父母が結婚したころは新婚旅行のメッカだったらしい。今で言うところのハワイみたいなもの。
当時は1ドル360円はしていたはずだから、
海外って行くのは大変だったのかななんて思いながら、通過したような気がします。
佐多岬ではご多分にもれず記念写真がメイン。なんていったって本州最南端に来たという感慨がありました。
鹿児島へ向かう途中は溶岩や火山灰があるなんとも不思議。
それから、僕はたしか当時九州唯一だったライダーハウスに宿泊することになる。
そこで出会ったライダーの中に沖縄へツーリングに行っていた人がいたんだけれども、
彼の話を聞くにつれ、どんどん僕は沖縄へ行きたくなっていった。
以前の四国・九州ツーリングでも沖縄は行きたいと感じたんだけれども、時間がなく断念したので、
今回僕は沖縄へ足を運ぶことに決めました。そうと決めたら、早速船に乗りたかった。
しかし時間が合わなかったので、九州の左下(南西部)を先にまわることに決めました。
指宿の砂風呂、長崎鼻、池田湖の大ウナギ。池田湖の大ウナギはウナギにはみえないくらい大きいものでした。
なんとこれがイッシーではないかとの噂もあるそうです。
知覧の特攻博物館には名物の語りオヤジがいて、僕たちを泣かせてくれました。
戦争の特攻の若者達が書き残した遺書がたくさんあって、お国の為と強がっているものの、
最後はお母さん死にたくないというものたくさんあったり、
当時の若者の心境が語られている遺書が残っていました。戦争とは残酷なものですね。

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青島にて

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佐多岬にて

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南国ムードの道路

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桜島

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長崎鼻

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知覧の博物館

 

鹿児島-那覇-残派岬-那覇

沖縄本島で出会った旅人は一様に「離島は良かった」と口にしていました。
そんな話しを聞いていると当然離島にも行きたくなるもので、
船の時間まで沖縄本島を回り、離島へと旅立つことに決定しました。
「離島は・・」と言われていたけど、沖縄本島の海もとても美しく僕は感じたように記憶しています。
ただ、沖縄本島は交通機関が自動車しかなく、道路が非常に混雑しているのが、たまらなく嫌だったような気がします。
沖縄といえば、米軍の嘉手納基地があるのですが、飛行機は道路の上を何度も低空で横切っていました。
発着回数も僕の家から行ける厚木なんかとは比較にならないほど多く、あまりの発着の量にビックリしました。
単に飛行機を見るっていうことは楽しいのですが、特攻の若者が無駄な死を遂げた後に、
相手国だったアメリカが大手を振るって発着を繰り返しているところを考えてしまうとなんだか複雑な気持ちでしたね。
それでも飛行場の近くの道をNINJAで走っていると当時流行った
トップガンという映画のトムクルーズにでもなったような気持ち良さでしたが。

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沖縄の海

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沖縄の海で遊ぶ

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嘉手納基地付近

 

石垣島

わざわざ来て良かったと本当に思いました。
沖縄本島は人がたくさん住んでいるから、やっぱりゴミゴミしていると感じていたし
、名所のようなところはすっかり観光地になっていたから。
離島のなんとも言えない空気が非常に心地よく感じたような記憶があります。
石垣島って一日あれば一周出来て、見るところもそんなにないんだけれど、
「人」の雰囲気がなんともおおらかな印象を受けました。
また石垣島は案外都会的な部分もあり、おおらなかな雰囲気とは裏腹に観光客を目当てにした悪い人たちもいるようでした。
こんなに美しい自然の中でもその手の人たちがいるというのはとても残念に感じたように思います。

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石垣の海

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牛久保崎にて

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川平湾にて

 

西表島

ジャングルが生い茂り、マングローブ(ヒルギ)の木がニョキニョキとたっている。
ここは本当に日本なんだろうか?完全に世界の違うところまで来てしまった感じでした。
木々などの植生も日本なんだろうかと思ったことの一つでしたが、
ヘルメットをかぶらずに原付に乗っている観光客なども、さらに僕を不思議な感じにさせた一つでした。
僕は原付は借りませんでしたが、
レンタバイクのおばさんは「ヘルメットなんていらないよ、駐在さんは知り合いだから。」と言っていたそうです。
まあ実際オマワリサンはこの島に一人しかいないそうだし、信号のある交差点も島の中に一つだけということでした。
西表島にはジャングル探検やダイビングなどが僕たちツーリストの主な目的だったように思います。
ここの島はありのままの自然を是非残していってほしいと思います。

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ヒルギ

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サキシマスオウの木

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ピナイサーラの滝より

 

波照間島

ライダーの好きな場所のひとつに「はじっこ」があります。
僕もご多分にもれず最北端や岬の先端などのはじっこへ、ついつい行ってしまいます。
波照間島は人が住んでいる島では日本最南端。
旅行者は何もないといっていましが、行ってみなければ気が収まらないところでした。
実際、最南端の碑があるところまでは港から電線をたどっていけば行けるくらいに何もないところ。
それ以外の観光の名所的な所はなく、
サトウキビの畑と、サトウキビを加工している工場があるくらいだったでしょうか。
観光客が少ない島だったので島に住む人々の生活の姿がよく見えました。

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日本最南端の碑

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日本最南端

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波照間の家

 

石垣島

八重山の離島は石垣島を中心に船が出ています。そのために石垣島へ戻ってきていました。
観光らしいことはすでにしていましたので、
何をするわけでもなくゴハンを食べにいったり砂浜にいってみたりしていたように記憶しています。
3月という季節、この地方は晴れると暑く、曇ると寒いという感じだったように思います。
海開きもしていますから、晴れれば海にはいれたのですが、残念ながら曇りの日ばかり続いていました。
ぼーっと過ごしていたときに考えていたこと、それはもうそろそろ島を離れなければいけないということでした。
与那国島にも行きたい。でもバイクでもまだ走りたい。バイクで走らなければ、沖縄からフェリーで・・。
でもバイクで来た意味がない・・。やはり与那国よりもバイクだ!そんな思いを持ちながら島を後にすることになりました。

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石垣島にて

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石垣島にて

 

那覇-辺戸岬-那覇

九州へ戻るフェリーを決め、その前に沖縄本島を回ることにしました。
やはりライダーらしくハジッコをめざします。離島ではバイクにほとんど乗っていなかったのでバイクに乗るのが楽しい。
ただバイクで沖縄を走るには少しばかり注意しなければならないことがありました。
道路がよく滑ること。交差点でアクセルを不用意に開けようモノなら、すぐに後ろタイヤは滑り始めました。
これは沖縄の道路のアスファルトが暑さで溶けないように、マゼモノをしてるところからきてるらしいのですが。
本島でも町から離れ北へいくほど方言で人々の言葉がわからなくなっていきました。
那覇ではいわゆる観光地も巡りましたが、一番楽しみだったことは夜飲みにいくことでした。
その中でも山羊を食べさせてくれるお店が印象に残っています。
山羊ももちろん美味しかったのですが、頼んだものよりも多く、次から次ぎへのサービスで出てくる品々。
ありえないようなサービスにみんな大満足でした。

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辺戸岬

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辺戸岬の方面にて

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牛を運ぶ船

 

鹿児島-島原-阿蘇-四国-京都-横浜

沖縄で出会ったトシとずっと長崎あたりまで走りました。大雨の中を淡々と走っていたような記憶があります。
そして、そこから横へ移動してバイクツーリングが楽しく気持ちよくなる阿蘇へ。
ミルクロード、ヤマナミハイウェイという阿蘇の雄大な景色の中を走りました。
九州は沖縄よりもバイクで走るには楽しい場所でした。
ただ、阿蘇をすぎたあたりから急に帰らなければいけないという気持ちが強くなり、
淡々と家まで走って帰ったように思います。そういう所って記憶にあんまり残っていないんですね。
記憶に残る旅は急いではいけないと感じました。

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島原城

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天草

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ミルクロードにて

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カルデラ

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高千穂峡

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阿蘇の火口

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ヤマナミハイウェイで野焼き

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瀬戸大橋

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金閣寺

 

学生最後の旅を終えて

今考えると、社会人になってからもロングツーリングをしましたが、当時は学生最後のこのチャンスがバイクで走る長期の旅の最後になると思っていました。そのため海外旅行ではなく、バイクツーリングを選びましたが、良かったと感じています。沖縄で出会った友人たちとは15年ほどたった今でも一緒に遊ぶ仲間にです。それだけ皆、沖縄での印象が強く共有できることが多かったのだろう。学生時代に戻ることは出来ないけれど、もう一度このころの気持ちで旅をしてみたいものです。

1990年12月30日-1月6日 8日間  <Route>横浜→四国→倉敷→名古屋→横浜

 

定福寺・足摺・倉敷

3月に行った四国の印象が非常に良かったからか、お正月休みは四国へ行こうと決めていた。
3月に定福寺で知り合ったNEMOさんも四国に行くというので現地で待ち合わせもした。
この時からお正月休みは四国で過ごすことが習慣になっていきました。
お寺では除夜の鐘をついたりゼンザイを食べながら夜遅くまで旅の話をしていたのをよく覚えています。
ただこの頃はまだずっと同じところに滞在して過ごすということが、もったいない事とも感じていました。
だから大晦日やお正月以外はバイクで走りまくっていたように思います。

定福寺で楽しいお正月を過ごしてから、足摺方面をまわり倉敷へと足を伸ばしました。
倉敷ではやはり3月に知り合いになった人に案内をしてもらいました。旅先で知り合った人にガイドをしてもらうと、
一人では味わえない楽しい町歩きができることを知りました。
倉敷の後はずっと走って名古屋で疲れて宿泊。
翌日はバイクが雪にかぶっていてビックリした記憶がありますが、
このころはこういう出来事もまた新鮮で旅の記憶を印象づける出来事となりました。

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霧石にて

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足摺

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すごい荷物のバイク

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倉敷

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瀬戸内の海

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1990年8月9日-30日 22日間

念願の北海道バイクツーリング

一年前に北海道を旅行してから、ずっと思い描いていたバイクでの旅に出ることになる。
北海道をバイクで駆ける。ただそれだけ。どこを観光したいという目的もなかった。
休みに入ってすぐに家を出た。
そして、台風の影響のある東北自動車道をフラフラと怖い思いをしながらひた走る。
仙台から先の盛岡・青森までがすごく距離があることを初めて知った。
同じ体勢での運転で体は痛く、そして眠い。
それでも寝れば着いてしまう電車での旅よりも、
北海道の遠さを実感できるバイクでの旅の方が楽しいと思った

<Route>
横浜→青森→函館→余市→札幌→芦別→富良野→大雪山国立公園→留萌→宗谷岬→サロマ湖→→網走→知床→野付半島→開陽台→屈斜路湖・阿寒湖→オンネトー→納沙布→阿寒湖・屈斜路湖→釧路湿原→襟裳岬→オロフレ峠→室蘭→札幌→小樽→新潟→横浜

 

青森→函館→余市→札幌富良野→大雪山

青森のフェリーターミナルでスゴイ偶然があったのを良く覚えています。
その頃僕は良いバイク屋がないかなぁと探している時期でした。
ZX-4を買ってからいろんな店を見て回ったのですが、
青葉台にあるバイク屋が丁寧な整備をしてくれるので、
ここに行きつけになってみようかと2回くらいバイクを出していました。
そしたら、フェリー乗り場でそのこ店の主人がいるではありませんか。
「何やってるんだよ〜」っていうぶっきらぼうに声をかけてくれたのを忘れませんね。
その場で車両チェックしてもらって(実は不具合が少しあった)
クルマで来ていたバイク屋よりも先にフェリーに乗って北海道に渡りました。
もちろん今でもそのバイク屋に通っているんですが、偶然とはスゴイものだと思いました。
スケール感が本州とは違う北海道を走る感動ももちろんありましたが。

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ニッカウイゥキー工場

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札幌から芦別へ

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芦別のキャンプ場

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麓郷

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中心

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大雪山付近

 

留萌→宗谷岬→サロマ湖→網走

とにかく最北端へ行ってみようと進路を北に取りました。
途中、地元の人たちに羊の肉をごちそうになったり、宴会を開いたり、
バイクでの旅を満喫できたところでもありましたね。
最北端は観光客が多く、音楽が鳴り響いていたりと、あまり気持ちの良いところではありませんでしたが。

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留萌付近

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道道106

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宗谷岬

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キャンプ場にて

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宗谷岬よりちょっと南

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サロマ湖

 

知床→野付半島→開陽台→オンネトー

北海道にはヌシと呼ばれる人たちがいます。キャンプ場なんかでずっと滞在していたりします。
熊ノ湯のキャンプ場なんかにもいましたね。今でも夏になると、ヌシと呼ばれる人たちは出てくるんだろうか?
僕はいろいろな所へ行ってみたいと思っていたので、知床は早々に切り上げ、さらに南下していきます。
野付半島のトドワラは意外と記憶に残っていて、また行ってみたい所の一つです。

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知床・カムイワッカの滝

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屈斜路湖の温泉

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オンネトー

 

納沙布→阿寒湖・屈斜路湖→釧路湿原

今でも印象にのこっているのは、屈斜路湖で出会ったカヌーライダーです。
バイクにファルトボート積んで走っていた人なのですが、カヌーを借りて一日遊びました。
彼はバイクを屈斜路湖に置いて、釧路川を下るといっていましたが、
ああそんな楽しみ方もあるのだな思った記憶があります。

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釧路湿原

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摩周湖

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屈斜路湖

 

襟裳岬→札幌→小樽

襟裳岬に百人浜キャンプ場というところがあります。そこは幽霊が出るというウワサで有名でした。
霊感の全くない僕はオバケを見ることはありませんでしたが、なんとなく寂しげだったような気がします。
札幌では藻岩山から見た夜景が良かったです。
街自体は前回街を見て回ったのでというのもあり、ほとんど見ませんでした。
バイクでの旅では電車よりも街を見づらいと感じてしまったからというのもあります。
混雑した知らない道をバイクで走り、バイクを止めることを考えなければいけないというのは、
都市部を観光したいという人には不便で仕方ないものなのですね。
ま、街よりも自然の中を走りたかったので、やっぱり僕はバイクの旅が向いていると再認識した所でもありました。

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襟裳岬

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オロフレ峠

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小樽

 

旅の醍醐味

交通量が少ない北海道の自然の中の道はバイクで走るには最高でした。北海道は大陸的な臭いがあり、開放的になれる明るい景色があります。思い切り一日中バイクを走らせても飽きない所。そして夜になって、キャンプ場で見知らぬ人と宴会を開き、なんだかたあいもない話しをしてまた走る。同じ趣味を持つ人とたくさん会って、もっといろいろ知りたい、走りたいと思った。だからまた、次はどこへ行ってみようかと考えてしまうのですね。

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1990年5月GW
<Route>
横浜→八幡平→田沢湖→十和田湖→奥入瀬→八甲田→脇ノ沢→大間→尻屋崎→八戸→横浜

 

寒さに震えながらのGWツーリング

学校のゴールデンウィークの休みの期間を利用して旅をプラン。
前回は南へいったからという簡単な理由で北を目指すことにする。
横浜はだいぶ暖かくなっており、僕は北へ行っても同じように暖かいんだろうなと漠然と思っていた。
そして学校が終わったその日、夜の8時くらいだったろうか、
出発し走って行った東北自動車道はとても寒かったのを良く覚えている。
今では考えられない風を通すただのジャンパーで寒さに震えながらの東北ツーリング。
東北ツーリングの為に購入したテントやシュラフなどのキャンプ道具は、
サービスエリアでのビバークでしか使わなかった。

 

横浜→八幡平-田沢湖-十和田湖-奥入瀬-八甲田

八幡平のインターを降り、僕はツーリングマップという地図で気になっていたアスピーテラインに入りました。
素晴らしい景色と道を進めば進むほどそびえ立っていく雪の壁にビックリの連続でした。
頂上のレストランでは雪までちらつき始め、
もう一人そこにいたライダーと暖かいコーヒーを飲みながらなかなか出発できなかった思い出があります。
奥入瀬渓流も地図で気になっていたところなのですが、新緑にはまだ遠くちょっとガックリでしたね。
でも若さからか「もっといい時期に絶対来てやる」と思いました。
そう思わせるくらいに素晴らしい所だと思ったのでしょう。
体の冷え切った中に出現した酸ヶ湯は温泉がどううのというよりも、
ただただ体を温めてくれて感謝の気持ちの方が大きかったように思います。
またそこを出発すると八甲田で僕の体は冷え切るのですが・・・

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アスピーテラインにて

 

 

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雪はまだまだ高くなる

 

 

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十和田湖

 

 

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奥入瀬渓流

 

 

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酸ヶ湯

 

 

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八甲田

 

 

 

八甲田-脇ノ沢-大間-尻屋崎

脇ノ沢は北限のニホンザルで有名です。
今もサルは北上を続けているらしい。
この時もエサが少なくなったのか、たまに民家付近で畑を荒らしたりと悪さはしていたようです。
そして今ではすっかりきれいになったR338を北上。ここはまだダートでした。
道の雰囲気は素晴らしいもので、ダートでの人工物の少なさ、
自然な感じがすっかり気に入りオンロードバイクでダートへ足を踏み入れるキッカケになった所でもありました。
本州最北端はお土産やくらいしかないのですが、最北まできた感動は忘れませんね。
それから遠く見える北海道へ行くという夢を馳せていました。
それからすぐに行った尻屋崎は僕に北海道をより彷彿させてくれる広い牧場がありました。

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脇ノ沢から大間に向かう

 

 

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仏ヶ浦

 

 

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本州最北端

 

 

 

尻屋崎-八戸-横浜

なぜだか僕は八戸にいってみたかった。よくよく考えると子供の頃にやったゲームに影響されたんじゃないかと思います。
日本一周を電車でするゲーム。ゲームの名前は忘れました。
双六ゲームなのですが、八戸は漁港の町・うまいものが食えるみたいな情報をそこで与えられていたんだと思います。
だからわざわざ漁港にいって黄昏れた記憶があります。
僕は結構漁港には縁があって、高校の時に伊豆で漁に一緒に出ないかと誘われたり、船に乗せてもらったりしました。
八戸で話しをしたおばちゃんも妙に素朴でよかったなと思い出しますね。
黄昏れた後は、もう帰らなきゃと思っていました。
しかしまだ少しでも時間を旅に費やしたいと撫島まで行くことにしました。
そこにはウミネコがいっぱいいすぎて、凄いけど気持ち悪かったように思います。黄昏れて帰っておけばよかたと。

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八戸

 

 

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ウミネコの繁殖地

 

 

 

走り終えて

6日という時間がアッという間に過ぎてしまいました。
それだけに東北は見残した所やまた行ってみたいと思うところがいっぱいあって、
これから僕を何かというと東北へ行くという状況を生み出すのです。
そしてゴールデンウィークの山は寒いということを実感した旅でもあり、
これからの旅の服装にもだんだんと気を使うようになっていったのもこの旅からなんだと思います。

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1990年3月7日-4月2日 23日間

 

初めてのロングツーリング

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九州にて

北海道から帰ってすぐに僕はツーリング用にバイクを買っていた。
そして休みに近場をウロウロしながら、
「春休みにはどこへ行こうか」という気持ちでいっぱいだった。
とにかくバイクで遠くまで走りたかったのだろう。
僕は、ツーリングの期間がまだ春先ということもあって、
四国・九州を回ることに決める。 400ccのバイクを手に入れ、
「これでどこまでも走っていける」という、
バイクで走りたくて走りたくて仕方がない時期でもあった。
四国を通り抜けて九州まで行くというのが僕の目標。
春休みにはいると僕はすぐに旅の支度をして、
KAWASAKIのZX-4にまたがり出発することになる。
僕はまだ学生でお金もなく、横浜から神戸まで高速道路を使わずに姫路まで夜中ぶっ通しで走る。
途中の鈴鹿付近の名阪国道では大雪に見舞われ、
トラックがたくさん走る真夜中の道を、手をかじかませながら走りきったのは懐かしい。

<Route>
横浜→姫路→小豆島→高松→琴平→大豊→大歩危→徳島→室戸岬→高知→大豊→四国カルスト→中村→足摺→宿毛→宇和島→松山→佐田岬→別 府→やまなみハイウェイ→北九州→山口→萩→鳥取→京都→奈良→横浜

 

横浜→小豆島→高松→大豊

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小豆島・寒霞渓

 

 

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琴平

 

 

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かずら橋

 

 

なんとか朝方に僕は姫路に到着し、小豆島へフェリーで渡りました。
寒霞渓は素晴らしかったが、正直なところ僕はあまりの眠さで記憶が薄い。
それよりも四国へ渡り、なんの変哲もない農村が「ああ僕が小さかった頃って横浜もこんな風景だったな」と
ものすごく懐かしいものに感じた覚えがあります。
それから、四国の大きな町中にコンビニエンスストアを全くと言っていいほど見かけなかったのも
僕の中に凄く印象に残っていますね。
酒屋や個人商店がたくさんあり、それがまた「四国って昔の日本がそのまま残っているな」という
素朴な印象を僕に植え付けました。

 

大豊-徳島-大豊

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R439

 

 

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徳島・藍染工場

 

 

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京柱峠

 

 

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四国の川は水がきれい

 

 

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霧石

 

 

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梶ヶ森・NEMOさんと

 

 

大豊にある定福寺というお寺がユースホステルをやっていました。
ここのユースホステル、現在はヤメてしまっているのですが、当時は大変な賑わいをみせるユースでした。
この定福寺ユースホステルでは、五大修行という名のもとに、大豊付近の観光を紹介していました。
観光とはいえ、修行と名がついているだけあって、五大修行の内容は結構本格的。

[1]徳島〜中村(大豊からどちらかでよい)までの山沿いを横断する国道439号線を400km走破する修行
(バイク・クルマ・自転車・徒歩なんでも可)
[2]標高1100mの京柱峠を越え、祖谷渓に沿って自転車で90kmを走る修行
[3]ユースから見える標高1400mの霊峰梶ヶ森山頂への登山する修行
[4]寺、神社、大杉の三代史跡と、名物の霊能者を巡る自転車で60kmを走る修行
[5]絶壁にそびえる霧石という石まで歩いていき岩の上で瞑想をする修行
[6]季節限定の福寿草を見にいく修行があった。

このユースホステルは自らを笑い地蔵共和国と名乗り、3つの修行を終えて五泊していると、
その国の国民栄誉賞が、全ての修行をやると人間国宝になれるというものでした。

僕はただ徳島や室戸に行ってみたかったので、ついでのつもりでこの修行を始めることになります。
まずは国道439号線を走破。山にはまだ雪も残っている国道とは思えない道をただ走る。
途中、スキー場があったのは少しビックリしたかな。
僕は四国にスキー場なんてあるもんだとは知らなかったから。

徳島へ無事に僕は到着したあとは修行のことは忘れ、行ってみたかった藍染め工場へ。
徳島ではここが非常に印象的でしたね。
絞り染めを作れるのだがあまりに面 白く、二日連続で行っったほどでした。

定福寺に戻り、一つ目の修行の紙をもらうと、2つ目もやりたくなり、3つ目、4つ目と修行を繰り返す内に
九州まで走りに行きたいという僕はどこにもいなくなっていました。
知らぬ間に人間国宝になるまで修行をしていましたが、国宝がどうこうというより、
ただオートバイで走り去るような所にも素晴らしい所がいっぱいあると実感したことを覚えています。

またここでは、今でも家族ぐるみでキャンプなどに遊びに行っているNEMOさんと出会った場所。
彼は僕よりも年上でしたが、限定解除のススメをされたり、
後々かなり影響をされた人物に遭遇したのは間違いないだろうな。

 

大豊-四国カルスト-中村-足摺岬-松山

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四万十川

 

 

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沈下橋

 

 

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足摺岬

 

 

五大修行を終えるとハッと我に返ったところがあったように思う。「僕は九州まで行きたかったんだ」と。
修行で楽しい毎日で、正直なところ定福寺で旅を終えてしまってもいいやと考えてはいたものの、
なんとなくやっぱり他の所へ行ってみたいという気持ちが抜けてなかったのです。
バイクで走り始めると人との会話が急に減って寂しくもなったが、
見てみたかった四万十川や沈下橋は「ああ出発して良かった」とも思う
なんだか吹っ切れない自分がいたのを良く覚えています。

 

松山-北九州

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やまなみハイウェイ

 

 

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太宰府天満宮

 

 

僕はどうしても九州に行きたくて、時間がないにもかかわらず、フェリーで九州に渡ることにしました。
見たところといえば、走ってみたかったやまなみハイウェイだけでした。
今考えると、時間もないのだから、ゆっくりと四国を見て回れば良かったとも思いますが、
やっぱり走りたかったんでしょうね。
走りたかったといえば、北九州で会った女の子のライダーは
二日間で東京から北九州までやってきたという人がいました。
高速道を使ってとはいえ、大変だったと思います。
その子は「とにかく九州を走りたかったから」と言っていました。
こんなことをアッケラカンというライダーこの頃はとても多かったような気がしますね。

 

北九州-鳥取-京都-奈良-横浜

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秋吉台

 

 

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出雲大社

 

 

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鳥取砂丘

 

 

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京都・嵐山

 

 

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奈良

 

 

九州から、自宅へ戻るのにも僕は自走しか考えていなかった。
北九州で会った女の子にも影響されたのだろうか、自走しか考えられなかった。
そして、秋吉台を見た後、僕は日本海側の道を走ることにしました。
ゴミゴミしていると思いこんでいる山陽を通りたくなかったから。だから山陰の道を選んだのです。

山陰は、何にもなく、風だけが強く、
陽でなく陰というふうに呼ばれているのも納得できてしまうような雰囲気。
ただひたすら走って鳥取についたという感じ。
京都、奈良では途中で出会った旅人と落ち合った。
それから僕が花博に行った日に乗り物が落ちるという大事故があったのを良く覚えています。

 

走り終えて

走りの旅を満喫するつもりが、一カ所に長く滞在するという意外なことになったものの、
滞在型の旅というものを覚えた旅でした。
広く、薄くという旅でなく、同じ所でじっくり見る旅もまたいいものだと感じました。

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