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[バイク]

1994年12月03日

ブルーム→パース(10月14日〜12月3日)

<アリ>

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ブルームのキャンプ場

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ケーブルビーチの夕日

ブルームで再び溶接をたのむ。こんどは見た目は少し悪いが、しっかりと溶接してもらった。バイクのフレーム以外は好調なので、この町に長居する必要はなかったが、キャンプ場のロケーションが良かったので、十日位ここでのんびりしようと決めた。キャンプ場でアリの巣をさけてテントをはる。海の近くなので、夜は涼しそうだ。

夕飯を作ろうと思い、バッグから米の袋を出して愕然とした。『アリだ。』米の白さの中に赤茶色い小さなアリがうごめいている。よく見るとテントの中にアリの行列ができているではないか。『どこから入って来たんだコイツ。』という疑問と同時に『今日の飯はこれしかないぞ。』ということを思い出す。ひとまずアリの行列はそのままにしておいて、できる限りのアリを取り除き、今日の夕飯を作った。この日からアリと俺との格闘がはじまるのだ。

次の日虫除けスプレーをワカメちゃんと買いに行った。彼も同じキャンプ場に泊まっており、少なからずアリに悩まされているようだ。キャンプ場に戻り、早速スプレーを使ってみる。「スゴイ臭いだよコレ。」たしかに匂いは強烈でいかにも効きそうだ。ワカメちゃんがアリの行列にスプレーしてみる。「即死だ。」殺虫剤じゃないかというほど強力だ!彼のスプレーを借り、自分のテントに使用して、アリを即死させる。その上でチャックなどのアリがはいってきそうな所にスプレーしておく。『とりあえずこれで平気だろう。』

朝起きて、インスタントラーメンを食べようと袋を出したところ、またもやアリが袋の中でうごめいている。『ンモー、マジかよ。袋は開いていなんだぞ。』どうやら袋を食い破って俺のラーメンをかじっていたようである。『俺の飯』食うなよな。でもたいしたもんだよ。君たちは。』ここまでやられると、アリに対して敬意さえ感じてくる。俺はアリ入りのラーメンをすすりながら、アリ対策を考えていた。

食べ物をかばんに入れ、かばんに虫除けスプレーをかけてきちんとチャックを締めておいたらアリがたからない。要はきちんと管理していれば問題ないことを発見した。ただし少しでも気を緩めるとアリはかばんの中に侵入してくる。 他のキャンパーはどうなのだろうと思い、知り合いになった人の車を覗いてみる。『アリだ。』車のタイヤをつたわって、車内に侵入している。ブルームのアリは強力だ。

キャンプ場の前のコバルトブルーのビーチで朝泳いで、昼から釣りをしたり、アサリや巻き貝をとって飯を食うという夢のような生活を一週間程楽しんでいたが、毎日が少し単調になってきた。『そろそろ旅に出るか。』まだ見ぬ 大都会パースをめざして南下をはじめた。

 

<南下開始>

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道ばたで

『ワカメちゃんにはいつ追いくだろう。』かれは数日前に旅立っていた。『彼のバイクのペースは舗装路で一日約250kmと言っていた。俺は一日に500km位 か。』などという事を何度も繰り返し考えながら単調な道を走る。今はブルームを出てグレートサンディー砂漠を通過中だ。砂漠と言っても低い灌木は生えているし今までの道とそう変わりばえしない。目を楽しませてくれたものと言ったら、竜巻くらいだろうか。あちこちに竜巻が上がっている。大きいもの小さいもの。TVで見るようなもの凄いものではないが、何本も竜巻があるというのが凄い。しかし凄い凄いと感動しながらもそれがひたすら続くのですぐに飽きてしまう。オーストラリアの道はどこでもそうだ。面白いものや変わったものが出てきても、それが永遠何時間も続くのだからたまらない。

オーストラリアではバイクなんてちっぽけなものだ。『この国ではバイクは不便だし旅にはむかない。』本心からそう思う。しかし俺は旅している。俺は広い広いこの大地が見たかったのだ。バスや飛行機、電車ではこの広さは感じられない。バイクは最高だ。

 

<ひらめきそして、、>

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パンク修理中

ブルームを出てからの最初の町は、南に約600kmにあるポートヘッドランドという町だ。皆、普通はここで宿をとるようだが、どうも気にいらなかったので200km走って次の町カラーサへ行くことにする。気にいった所や興味を持った所で長く滞在し、そうでない所はサッサといってしまうのが俺の旅のスタイルだ。だから観光地をひたすら回るなんてことも俺はしないし、観光地へ行かなかっかたからもったいないなんて思わない。自分のヒラメキを大切にしている。ポートヘッドランドは俺は興味が持てなかった。ただそれだけだ。逆にカラーサはカラーサに住んでいるオージーに会って、いろいろ聞いていたので、行ってみたかった。今日はまだ200km弱しか走っていない。あと200kmを進む体力もあるし、明るい内につけそうなので先へ進む事にした。

カラーサの手前10kmで夕方になっていた。明るいうちにつけると安心していたところで、前タイヤが少し変だと気がついた。『パンクだ。』と思ったと同時に『明るい内でよかった。』と安心した。暗くなったら街灯は無いのだ。バイクを路肩に止め、作業を開始する。『パンク修理はお手のものだ。問題ない。』と思って作業していると、車が止まってくれた。「どうしたんだ。大丈夫か。」と心配ように話しかけてくるので、「大丈夫だ。直せるから。」と答えた。しかし彼は不安なようで「もしなんなら車に乗せて行くぞ。」と親切に聞いてくれる。『やっぱりトラブルがあった時はお互いさまなんだな。』と妙に感動しながらも「大丈夫だ。」と答えて作業を再開した。するとまた一台の車が止まってくれた。「どうしたんだ。大丈夫か。」と聞いてくる。『やっぱりオージーは親切だ。』と思いながら、事情を説明して、別れる。するとまた一台の車が…。何台かに一台が止まって尋ねてくれる。そのたび「大丈夫か?」と聞かれる。この国で車のトラブルは非常に重要な問題なので、助け合いの精神が発達しているようだ。しかし、町から近く、おまけに夕方だったので車の通りが多く尋ねてくれる人数が多すぎる。おまけに世間話しを始める人までいる。『これじゃ作業にならないよ。』と思いながら、ついつい一緒に世間話しをしてしまう。『なんでギブリバーロードの時は誰も声をかけてくれなかったんだろう?』という疑問を抱きつつも、タイヤの修理を終え、カラーサの町へ向かった。ちなみにパンクの修理には1時間30分もかかってしまった。1時間位 は話しをしていたという事か。もう空は暗くなっていた。

 

<整備されていく道>

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カンナミユキストックルート

日本人にだけ有名なカンナミユキストックルートというものがある。ストックルートといっても日本人がかってに名前をつけただけで、ただの40kmのダートロードである。なぜそんな名前がついたかは地球の歩き方ツーリング&ドライブを読んでもらうとして、このカンナミユキストックルートを俺は走っていた。道は非常によく整備されていて、なにも問題なく通過したが、ダートの最後の方は舗装工事が始まっていた。もうすぐこの道もダートではなくなってしまうのだろう。しかしこんなに利用頻度の高い道が今までダートだったのが不思議だ。

カンナミユキを抜けたエクスマスのあたりの道は、見飽きていたブッシュの道から草原の道へと変化した。写真に撮ってしまうと似てしまうような道でも、その場にいるとちょっとしたことが大きな違いとなって見えてくる。平原に山があるとうれしい。木の種類が変わると嬉しい。土の色が変わっただけでも嬉しいのだ。

 

<コーラルベイ>

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コーラルベイ

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夕食ゲット

コーラルベイでワカメちゃんに追いついた。コーラルベイは名前負けしないくらい美しいところで俺はここに3泊くらいしてみようという気になっていた。もちろんキャンプでだ。宿には日本人バックパッカーがたくさんいたようだがキャンプ場にはワカメちゃんしか日本人はいなかった。『わかめちゃんもキャンプ好きだねぇ。』

世界中どこへ行っても日本人は多いが、俺は日本人同志でグループを作っているのはあまり好きではない。どうせなら、その土地の人と話してみたいと思う。それには少し寂しい時もあるが、キャラバンパークに泊まるのが一番だと思う。ワカメちゃんも似た考えのようで、日本人でグループの中に入るのが嫌いなようだ。もっとも俺達二人は日本人だから、グループを作っているように見えるかもしれないが。

コーラルベイは楽しくて、結局四泊したが毎日釣りをしていた。釣れる魚はカラフルな魚ばかりだが、もちろん夕食としておいしくいただいた。キャンプ場はきれいだし、アリもいない。なにもかもが快適だった。

 

<リゾート>

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モンキーマイヤ

野生のイルカの餌ずけに成功して有名になったモンキーマイヤへイルカが触れるらしいということで行ってみる。到着してすぐにテントを張り、海へ行ってみる。静かだ。まだイルカは来ていないらしい。野生のイルカなので、いつでも見れる水族館とはわけが違うが、毎日数回おなかがすくとやってくるらしい。日陰で昼寝をしながらのんびりと待つ。

フッと目が覚め海に目をやると海に人だかりができている。『イルカがきている。やられた。』急いで近づいて、触ろうと手をのばしてみたが、なかなか近寄ってこない。レンジャーの人に「それ以上前へ出ないで下さい。」と俺を含め観光客みんなが注意を受けながら手をのばしていたが、イルカは気まぐれ、沖へ泳いでいってしまった。この日はもう一度イルカに触るチャンスがあったが、結局触ることはできなかった。残念。

夜、日本人の普通の観光客がバーベキューをやっていた。よく見ると、最近知り合った日本人のライダーがまじっている。『さてはご馳走になっているな。』缶詰とごはんしか食べていなかったので、早速声をかけて仲間にいれてもらう。ちょっと卑しいがご馳走の魅力には勝てなかった。いろいろな世間話しにつきあいながら、あさり焼きをご馳走になる。ここのビーチでもあさりが取れるみたいだ。そろそろ話し疲れたころ、彼らは「これからレストランで食事だから、残りのあさり食べてくださいね。」といって行ってしまった。二人取り残され、あさりを食べていると、となりでバーベキューを外人が始めた。彼らに食べさせようという事になり、話しかける。「もし良かったらこれ食べませんか?」外人はあまりこういう物は食べないんだろうなと内心冷や冷やしていたが、勇気ある女性が一口食べ、しだいに打ち解けていく。彼らにご馳走をしたからか、「夜ビデオを見るから、おまえらも来い。」と誘いを受ける。もちろん俺達はOKした。

時間になりビデオの上映場所へ行ってみるともうすでに何人か人が来ている。バーベキューをやっている人だけで映画を見るのかと思っていたのだが、かなりの大人数が来た。彼らは皆、モンキーマイヤリゾートのスタッフだった。この夜は、酒を飲みながらビデオを楽しみ、楽しい一夜を過ごした。

昨日テントの中で考えていた事があった。『ここで働けないだろうか。』さぐりをいれてみたところでは、働けそうだ。こういう所で働くのは非常にいい経験になるだろう。たいていの日本人は、日本人商売しかできない。『いいチャンスだ。』このころには転んだらタダでは起きない性格になっているし、なんでも出来ると思いこんでいる。しかしパースでクリスマスを過ごしてみたいという気持ちもある。かなり悩んだ末、俺はパースへ行くほうを選んだ。

 

<カルバリ>

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ホワイティングという魚

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夕食

『旅で寄り道は基本でしょう。』少しルートをはずれカルバリというとこへいく。宿泊はもちろんキャンプ。キャンプのしたくをして、バイクにガソリンを入れに行く。ガソリンスタンドの兄ちゃんに旅の話しを聞かれ、調子にのってベラベラ話す。そこで知り合いになって、後で彼のキャラバンに招待してもらったり、酒を飲みにいったり、楽しい時を過ごしたのだが、それには、間違った英語でもいいから、積極的に話すことが大切だ。ハッタリを半分かましながら大袈裟に大袈裟に話すのが外人相手にはちょうどいい。それに気がついてからは、それがいつも良い結果 をうんでいた。

彼にカルバリでの魚釣りのことを教わり、またもや魚釣りをする。ここではホワイティングという白ギスの一種のようなものが入れ食いで釣れる。おかげで夕食には困らなかった。

釣りの事にしてもなんにしても、宿に泊まれば親切な主人が教えてくれるのだろうが、俺はやはり商売でない普通 の人々と接し、いろいろな話しを聞きたい。

 

<ピナクルス>

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ピナクルス

パースを目の前にして早く街へ到着したいという気持ちはあったが、西海岸の目玉の一つピナクルスへは寄らなければと思っていた。日本で見たオーストラリア写真集のピナクルスの美しさと奇妙さを是非見てみたかったのだ。セルバンテスの町にキャンプを張り、さっそくピナクルスへとバイクを走らせる。ゲートにはレンジャーがいて金を取られた。帰る時はいなかったので、もう少し夕方遅くくればタダだったみたいだ。『あ〜損した!』とにかくピナクルスは俺の期待を裏切らなかった。夕日に映える奇怪な岩。なぜこうなったのかは知っていたがやはり不思議だ。自然は偉大だ。

 

<ついにパースへ>

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パースの街

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街はクリスマス一色

冗談でなく夢にみたパース。期待に胸がふくらむ。ケアンズを出てから都会的な生活はしていないし、そんな町も来る途中にはなかった。ダーウィンの街から約1か月、ずっとキャンプ生活だ。あと100km、50km、25km…。だんだん近づいてくる。『見えた!』遠くにボンヤリと見える高層ビル群。『ついにここまで来たんだ。』涙が出るほど嬉しい。

街の中へ入り、宿をさがさなければならなかった。大都会でキャンプは不便すぎるからだ。しかし俺には宿のアテがあった。ここへ来るまでの間にいろいろと情報を集めておいたからだ。俺の希望の宿は日本人が固まっていない所で宿に宿泊している外人がフレンドリーであることだった。途中で話したオーストリア人の旅人がそんな俺にピッタリの宿を教えてくれていてくれた。彼の英語は俺と同じ位のレベルでたいして話すことができないのに、その宿は凄く楽しめたというのだ。俺はそこに泊まりたいと思っていたが、ワカメちゃんと待ち合わせした宿もあったので、先にワカメちゃんと待ち合わせをした宿へ行く事にする。彼はまだ到着していないようだったが、とりあえず空き部屋を聞いてみる。「今日泊まりたいんですけど。」「ツインなら空いている。泊まるか?」と感じが悪い。ツインの値段は俺には高すぎるし、宿のオッサンの対応も悪いので、ワカメちゃんを裏切り、俺はもう一方の宿に行くことにした。

 

<偶然の再再再会>

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KMANさんと

再会パースについて3日ほどこの宿で過ごしたろうか。知り合いになったオーストラリアのライダーが俺を呼びに来た。彼はここでレセプションの仕事をしていたのだが、「お前はシゲを知っているか?」と俺に聞く。シゲという名前にピンとこなっかたのだが、「小さいバイクに乗っているやつだ。」という。『あー、ワカメちゃんだ。』「知っているけどどうしたの?」「彼がここに来ている。ついてきな。」といって俺を案内してくれ、俺は彼と再会することが出来た。「どうしたの?」「イヤー、宿がみつからなくて、ここでいいやと思って入ったら、XLVがあるじゃん。」偶然とは恐ろしい。宿はたくさんあるのに…。無事に再会を果 たし、当然、街へ繰り出した。

[バイク]

1994年11月14日

ダーウィン→ブルーム(10月28日〜11月14日)

<オーストラリアのバイク屋>

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ダーウィンの街で

バイク屋でまずフレームの溶接を依頼。この時TT250に乗った日本人ライダーも溶接に一緒に来た。彼もダートでサブフレームが折れたそうだ。自分で部品を外し、溶接だけしてもらう。自分で出来るところは自分でやったほうが安いのだ。なんてったて、オーストラリアは人件費が高いのだ。つぎに溶接が完了したところで、補強を頼んでみる。そうしたらバイク屋は落ちている錆びた鉄でやろうとするので、「それじゃイヤだ。」と断る。相談の結果、スチールの角パイプで作ってもらうことになり、「材料買うから明日来い。まかせておけ。」との事。ついでにエンジンのオイル漏れの事も聞いてみる。「ガスケットだな。」との返事。俺は自分で事前に調べておいたので、「ガスケットじゃない、ねじがダメなんだ。」と説明する。大丈夫なところまでいじられて、余分なお金は払いたくない。実際余分なお金をとられている人も多いと思う。オーストラリアのバイク屋の決め文句は「カムチェーンがだめだな。」と言ってエンジンを開けるのだ。そうそうカムチェーンがダメになることもないような気がするが、重症っぽいバイクはみんなこういわれていた。へんなの!とにかく、自分の行きつけのバイク屋と自分しか信頼できない。

翌日、補強を頼みにバイク屋へ行く。「今日は材料が手に入らないから、月曜に来てくれ。」とのこと。
月曜バイク屋へ。まだ材料も買っていないみたいで、補強のいれ方や取り付け方を考えこんでいる。「ダメだウチじゃあ出来ない。他の店を紹介してやる。」などと言うではないか。やってくれるならどこでもいいやと思い紹介された店へ行った。店を3軒たらいまわしにされ、結局どこもやってくれない。バイク屋へもどり「おじちゃん、なんとかしてよー。」と一応頼んでみる。なんとかするから明日来いとのこと。このころはもうオージーののんきさには慣れっこだったので、なんとかなるだろと思っていた。

バイク屋に足を運んでみる。また考えこんでいる。彼らは本当に目の前の仕事しか見えないのだろうか。「わかった、材料買っておくから明日来い。」とのこと。『本当にわかっているんだろうか。』
バイク屋に行ってみる。ここまで連日いっていたらもう半分イヤガラセだが、行かないとやってくれない。「今日はー。」「材料買っておいたぞー。」と言って自信満々とみせてくれる。「おーいいじゃないか!」とほめつつも、『やっとここまできたか。』と心のなかでこぶしを握りしめる。材料をカットして加工してバイクに取り付ける。これで時間にして1時間。こんなことに一週間もの時間を費やしたなんて。

 

<110ライダー ワカメちゃん>

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110ライダー

ダーウィンではCT110のライダーと再会。ここで初めて名前を聞く。彼の名前はわかめちゃん。もちろん本名ではない。(ちなみに本名は勝間田さん。)いろいろ話しをしているうち、出会い帳の話しがでる。どうやら、彼も出会い帳はあまり好きではないらしく、あの時俺が住所を聞かなかったことで俺を覚えていてくれたらしい。そういえば彼も俺達の住所はきかなかったな。「でも、むかしは日本で名前とか聞くのが楽しかった時もあったよね。」そういうことを俺達は知らない間にしなくなっていた。名前を聞かないのがカッコイイなんて思ってはいない。俺達は全然否定していないのだ。うまくは言えないが、なんにしろそれぞれが勝手に楽しく旅しているのだからそれでいいと思っているのだが。

ダーウィンではワカメちゃんとよく飲みに行った。彼とはいろいろな話しができた。バイクのこと、日本のこと。彼は日本一周しているので、日本のマイナーな所の話題が非常に楽しい。意外にも日本をあまり回らずにオーストラリアに来ている人が多いのだ。

ワカメちゃんは何日かまえブルームに向かって出発した。俺も出発日を決めた。今度こそ一人で走りたかった。右回りか左回りで会う人が決まってしまう。ほとんど道は一本だし、それほどみんなのペースがかわるわけでもない。フレームの補強で思ったより時間がかかったため、時間差で一人になれそうだった。フミちゃんや他の人達に別 れを告げ、カカドゥ経由でブルームへ。

 

<ひとり旅の効用>

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リッチフィールドNP

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ロストワールドへ向かう

一人で旅をするにはいくつかのメリットがある。まず気ままに移動できること。それからオーストラリアの人々と話しをするチャンスが増えること。何人かで固まっていると、むこうが話しづらいようである。ケアンズからダーウィンまでを、ほとんど日本人と過ごしてしまったことで、外人との触れ合いがあまりなかったのだ。もともと外人の友達も作ろうと思って日本を旅立っていたので、このままで終わらせるのは絶対にイヤだ。

一人になったことで、効果てきめん、外人が話し掛けて来る。もちろんこちらからも話しやすい。これから先の旅に希望を持つ。

 

<壁画>

 

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カカドゥ国立公園

カカドゥ国立公園にはアボリジニの描いた壁画がたくさん残っている。写真でみるのとは一味も二味も違う。俺は表現自体にそれほど感動を覚えなかったし、たぶん日本でその写真を見ても、ほとんどの人は決して芸術的だとは感じないと思う。しかし現地で見ると、壁画だけでなく壁画の描かれた岩や空間がそこにあり、壁画の描かれたところに生活臭さが漂っている。壁画の描かれた空間に、靴をぬいで一歩ふみだしてみた。石がなんともいえず冷んやりとして気持ちがいい。思わず『今日はここに泊まってみるか。』などと思ってしまう。かつてアボリジニがそこで生活し、生きていたという事実を深く感じ、思いを馳せながらその地を後にした。

 

<温泉で>

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ダグラスの温泉

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68才ライダー

このへんには、マタランカというガイドブックに載っている温泉以外にダグラスの温泉がある。マタランカよりも温度が高く、日本の温泉の感覚ではいることが出来るという。おフロというものにもう4か月以上はいっていなかった俺は、さっそくそこに行ってみた。情報ほどいいところではなかったが、久しぶりの熱い湯に感動する。そこで一人のオーストラリア人の68才になるライダーにあった。彼はもう15か月もオーストラリアを旅していて、30か月で一周をするそうだ。ここには3日滞在していてあと3日位ここにいると言っていたが、後で会ったライダーの話と総合すると、どうやら1か月位ここにいたようであるが。彼はのんびり自分のペースで旅を楽しんでいる。自分のペースで旅をするのは重要だ。旅ががぜん面 白くなる。

 

<ギブリバーロード>

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ギブリバーロード

カナララの先からブルームの手前までダートを使うことにする。ダート区間は700km。十分な情報を仕入れ、食料、水、そして予備のガソリンを持ちダートに突入する。ダートに入るとすぐに日本ではとても見れないような雄大な景色に遭遇する。『この道は正解だ。』一人での自由とともに、ダートロードを90km位 で巡航する。

景色がいいからといってバイクを止め景色をじっくり眺めようとは思えない。暑いのだ。気温は45〜50度、体に当たる風はまるでドライヤーの風のよう。もちろん走っていても暑い。日陰もそれほどあるわけでもない。それでも、1時間ほど走っては休憩する。自分の為ではない。バイクの為だ。ここまでも無理せず、バイクをいたわりながら走って来た。俺は一周したいのだ。

砂がないだけマシな道だ。しかしバイクにとっては酷な道だ。コルゲーションがひどい。フレームを心配しながらの行進だ。もうツーリングというより耐久レースをしているようだ。楽しい事もあれば、辛い事もある。その辛いときにもバイクをおりずにツーリングを続けるのはなぜだろう。

ブッシュでキャンプを張り、朝一番でガソリンスタンドへ行く。ガソリンがなければ先へは進めない。スタンドのオープンと同時に何台もの車がやって来る。『こいつら何処にいたんだ?』昨日は対向車2台しか見ていないのに。不思議だ。

 

<再発>

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雨あがりのギブリバーロード

またもやフレームのトラブルが再発した。ダーウィンの街で修理した溶接が弱かったらしく同じところが折れた。補強の棒をいれておいたので、その棒がつっかえ棒になって、テールや荷物が落ちることは無いのが幸いだ。違う形で役立ってしまった補強の棒を見ながら俺は苦笑いした。『やれやれまたか、まあ気楽にやるさ。』俺はひとりもくもくと修理を始めた。スパナと針金で折れた箇所を骨折を直す要領で直してやる。もうこの処置は手慣れたものだ。なにしろもう2回目なんだから。

俺のバイクから荷物がおろされ、シート等が外されている時、3台の車が素通りした。『冷たいもんだな、どう見たって俺はトラブっているのに。』車に止まってほしいわけじゃない。自分で修理出来るのだからいちいち止まられて聞かれるのもめんどくさいが、グチの一つでも言ってみたくなる。

 

<再再会>

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人が入れるバオバブの木

ダートを走り終えて、ダービーという町のキャラバンパークにたどりつき、テントサイトへ行く。『どこかで見たようなバイクがあるぞ。』すぐにワカメちゃんだとわかる。ニヤニヤしながら声をかける。「よー、ダート通ったろー。」「えっ、なんで知ってるのー」「だって道路の端にクネクネしたタイヤの跡を見たもん。」彼のバイクではダートがむちゃくちゃ辛いのを俺は知っていたので道の事を聞いてみる。「ギブリバーどうだった?」「最高に辛かったよー。すぐオーバーヒートするの。10分走ってもう休憩したりしたよ。コルゲーションもすごかったよね。」なんだかんだ言っても、走り抜けた満足感のほうが大きいようだ。俺はこの道を一泊で通ってしまったが、彼は一週間かっかって通り抜けたそうだ。俺はあんな単調な道を一週間もかけて走りたいとは思わないが、世の中こういう奴がいるのが非常に面白い。

[バイク]

1994年10月27日

ケアンズ→ダーウィン(10月18日〜10月27日)

<バイクの改造とルートの選択>

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バックパッカーズの前で

早く通過してしまいたいと感じたケアンズに数日間滞在している。バイクの修理と改造していたからだ。まず直さなければいけないのがマフラーステー。どうやら俺のバイクのマフラーはノーマルではなかったらしく、そのためステーが弱かったらしい。これは鉄を曲げて丈夫なステーを作ってもらうことにした。それからサイレンサーの付け根も壊れていたので、それも溶接で直してもらう。ナンバーの穴は落ちていた鉄板を当てて自分で直した。乾式エアクリーナーはコストが高いことと、細かい砂を通してしまう問題があったために湿式に変更。XLV用はなかったので汎用品を加工して装着することにした。『この先なにがあっても自分でなんとかしなくては。』と出来る限り自分で修理をした。この先のことを考えて振り分けバッグも購入した。

俺は昨日ルートを決めた。ルートといってもオーストラリアは道自体が少ないので2つか3つのルートの中から選ぶという感じなのだが、オーストラリアのダートロードに魅せられてしまったのだろうか、ガルフロードという道を抜けダーウィンへ向かうことにした。情報では道はかなり良いとのことだったが、その道に備えていろいろと準備をした。オーストラリアのストックルートは最近気軽に紹介されているが、日本で考えられているより事故がかなり多いのだ。

 

<ダーウィンに向けて>

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ガソリンスタンドはこんな感じ

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ダートロードを疾走

偶然、フミちゃんという日本人ライダーがこの日に同じルートでダーウィンへ向かって出発だった。お互い一人で走りたかったので、宿泊地だけ決めておいてガソリンスタンドで待ち合わせをして酒でもくみかわそうということになった。もちろん行ったことのないところでの待ち合わせだったが、小さい町だとスタンドは一軒か二軒しかないので迷う事はない。
ケアンズから先、久し振りのワインディング。心ははやるがバイクは遅い。『ああロードバイクが欲しい。』ぜんぜん気持ち良くないワインディング。『コエー』と叫びながら走る。ほんとうに怖い。なるべく減らしているとはいえ、日本で走っている時とは比べものにならない重量の荷物をのせ、直線のことしか考えていないのではないかという重いバイク、それに加えオフロードタイヤ、最悪。
結局、俺とフミちゃんは一緒に走っていた。ペースを変えて走っても、ガソリンスタンドで必ず一緒になるのだ。そしてもう二人の日本人ライダー、カズさんとナオさんとも一緒になってしまっていた。ナオさんはやはりケアンズで同じ宿に泊まっていたのだが、カズさんと二人で俺達の出発の前日に出発した。しかし俺とフミちゃんは追いついてしまったのだ。俺もフミちゃんも一人で走りたかったのだがもうこれは仕方がない。あきらめて一緒に行くことになったのだった。
ダートロードに入ってすぐにカズは違う道を行った。彼はどうしてもマウントアイザに行きたいらしく、舗装路へ向かって行ったのだ。カズと別れた後はナオさん、フミちゃん、俺の順で順調にダートロードを疾走していった。

 

<アボリジニのこと>

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草原の中の道

アボリジニというオーストラリアの原住民がいる。やはり日本のお茶の間で見るアボリジニと実際に見るアボリジニは違う。比較的観光客が来るところや交通の便の良いところのアボリジニは外人慣れ(むこうからすれば、日本人は超外人だ!)しているが、そうでない所ではじろじろと顔を見られたりいろいろと不愉快な思いをする。危害を加えられるわけではないし接してみるといいやつだったりするのだが、独特の顔立ちは最初『こわい』と思ってしまう。それに慣れてしまえば、けっこう気さくなやつも発見できるし、いろいろな問題もみえてくる。昔の彼らの生活を体験するツアーなどでは絶対に分からない今の彼らの生活もあるのだ。
彼らのほとんどは政府から保護を受けているそうで、昼間からビールを飲んでいるやつも多いし、観光客を見るとすぐたかりに来るヤツもいる。仕事をしたくても仕事が無い、そんな生活をしている間に堕落していき、仕事の事を考えなくなってしまった人も多いのだろう。単純にどうこうなる問題でもない。逆に自分がアボリジニである事に自信を持って仕事をし、生きている人もいる。そんな人は、無茶苦茶カッコイイ。自分の目で見て、話しをしてみることは大切だ。観光ばかりがツーリングじゃないのだから。

 

<アクシデント>

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ノーザンテリトリー州境

クイーンズランド州とノーザンテリトリー州の州境の近くのロードハウスでこの先の事を考えていた。『注意して進もう。』それしかない。暑さの中3人は例の順番で走りだした。なにごともなくノーザンテリトリー州にはいる。気温は45度らしい。『ロードハウスのおばちゃんがこのさき48度だっていっていたな。もっと暑くなるのか。うげ。』などと考えていると、前のほうで砂が巻き上がる。尋常じゃない巻き上がりかただ。『フミちゃんこけたな。』スピードをゆるめながら近づくと道はブルダストになっていた。固い路面からいきなり砂に変わっていて、それも砂の中から固い轍が飛び出て縦横無尽にはしっている。そこにはバイクを止めたくなかったので砂地を抜けてからバイクを止め、フミちゃんを助けにいく。「だいじょーぶか?」と聞いたら「駄目ですね。」との返事。『なにがいったい駄目なんだ?』不安になる。「骨みえましたよ。」『マジかよ…こんなところで…』俺は足から骨がつきでているのを想像してしまう。「みせてみろ。」もちろん本当は心臓がドキドキで見たくなかったが仕方がない。俺以外に彼の近くには誰もいないのだ。そおーっとフミちゃんが足から手を放す。『飛び出てない!よかったー』もっとひどいケガを想像していたので、かなりホッとする。土の固いところに足を打ちケガしたようで、骨折はしていないようだ。傷についた砂を洗いながし包帯を巻く。応急処置の後、彼のバイクのエンジンをかけてみる。横だおしの時間が長かったせいか、エンジン始動に少し手間どったが大丈夫そうだ。それとよじれたフロントフォークを直す。あとはフミちゃん次第だ。
戻って来たナオさんが「運転できるか?」と聞いている。「大丈夫ですよ。ちょっと痛いけど。」と声の明るいフミ。こういう状況になると人間明るくしようと努力するみたいだ。それはともかく、この先小さな町まで250kmもある。何度も何度も聞き直して、その町へ自力で進むことに決定した。
町へついてキャラバンパークにテントをはり、ナオさんがフミちゃんを医者へ連れていった。小さな町に病院などというものはない。診療所というものがあるだけだ。大きな国だから、病人やけが人を飛行機で病院へはこぶフライングドクターというものが発達しているが、フミは飛行機でどこにも運ばれなかったのだから大丈夫だったのだろう。彼は化膿止めの薬と痛み止めの薬をもらったそうで、医者に「ダーウィンへいくんだけど。」と聞いたら「そこで医者にもう一度みてもらいなさい。大丈夫だろ。」と言われたそうだ。ちなみに医者はパブで飲んでいて、酔っぱらっていたらしい。本当に大丈夫なのかよオイ。

 

<小排気量車で旅する男>

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CT110で旅する男(右)

ケープクローフォードのガソリンスタンドで日本人ライダーがどこも悪そうなところはなさそうなCT110をいじっている。あとで聞いたらタペットカバーが外れないで困っていたらしいが…。小排気量車大好き人間の俺はこのときCT110を少し羨ましく思ったが、小さいバイクをいいなぁと思うのは日本人ぐらいらしい。オーストラリア人はとにかく大きいバイクを好み、大きくなければバイクじゃない位に思っている。オーストラリアは大きい、本当に大きい。250cc以下のバイクなんて大陸を走るのには小さすぎるのだ。大陸の走り方を知ってる欧米人やオーストラリア人は250cc以下のものは好まない。
スタンドのパブでCTの彼と情報交換とたわいのない話しをして別れることにする。別れ際、フミとナオは彼に"出会い帳"を頼んでいた。出会い帳とは、オーストラリアを旅する若者が出会った人の住所、名前、それになんか一言かいてもらうノートのことだ。俺は本当に仲良くなった人や、気のあいそうな人にしか住所を聞かないようにしているので、彼の名前も聞かず「またどこかで。」と言って別れた。

 

<フミとの2人旅>

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グリッド-牛が道路を歩いて敷地外へ出ないようにするもの

ケープクローフォードの先、ナオさんはダートを使ってマタランカへ抜けるとのことで別行動になる。俺はフミと舗装路を行くことにする。フミのバイクのキックをしてあげなければならないという事もあったが、舗装路を行かなければならない別の理由があった。また俺のバイクはトラブルを抱えていたのだ。それはサブフレーム折れ。重い荷物と振動でフレームが折れてしまったのだ。日本では考えられない事だが、世界一周のツーリングをする人は皆フレームに補強をいれている位、海外ツーリングでは常識のトラブル。俺はまあ大丈夫だろうぐらいに考えていたのだが…。まあやってしまったものは仕方ない。その場その場で最善を尽くすしかないのだ。応急処置をして修理出来るところまで走るしかないのだから、そこへたどりつけなくなるリスクをおいたくはない。

 

<つまらない道の効用>

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ずっとこんな風景。牛の死骸が臭い

単調な道をもくもくと走る。最高につまらない道だ。俺が思うにここがオーストラリアで一番つまらない道だろう。約270kmのあいだ、なにも景色がかわらない。ただただ続くブッシュ。こういうつまらない状況では、くだらないことを考えてしまうのが決まりだ。『ペットボトルの水の中にティーバッグをいれたらいつでもホット紅茶が飲めるのではないか。』、本当に暑いのだ。持ち歩いている水は常にお湯だった。さっそく実行してみる。『ウマイ。』多少なまぬるいが、飲めれば幸せだったマズイ水が、くさみがごまかされた紅茶になるのだ。おまけに茶色に色のついた水だったら水の色もごまかせる。一石二鳥だ!

 

<ダーウィン>

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マタランカホットスプリングス

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キャサリンでカヌー

ダーウィンとアデレードを結ぶスチュワートハイウェイにぶつかった。T字路が妙にうれしい。フミも本当にうれしそうだ。そりゃそうだろう、ここまで来れば、交通量は多いし、最悪、車の助けをかりられるのだ。スチュワートハイウェイえを走る3連結のロードトレインの大きさに驚きながら、ダーウィンに向かっての北上を開始した。
途中、フミには悪かったがマタランカのホットスプリングスとキャサリンでのカヌーを楽しんでからダーウィンに到着。もうフミの痛々しい走りを見ずにすむ。彼が転んでからここまで5日間、彼はずっと右足をのばしながら走っている。彼はもちろんダーウィンに着いて早々に病院へいった。全治3週間〜1か月。彼はダーウィンに足止めになる。俺もフレームの溶接、オイル漏れの修理、それにフレームの補強をこの街ですることに決めた。
やはりダート走行中にエンジンからオイルが漏れ始めていたのだが、たいしたこともなさそうだったので、そのままにしておいたのだが、この先、旅は長い。修理したほうがいいだろうという事で、まず自分で原因を調べてみる。漏れているところを見るために、タンクをはずし、キャブをはずす。V型のエンジンの真ん中に付いているキャブの脱着はめんどくさいの一言。『絶対に次はシングルエンジンのバイクを選ぶぞ!』。
やっとリークしているところをみつける。原因はどうやらオイル循環用のパイプとエンジンとの接点らしい。ねじが緩んでいるのかなと思い回してみたら、ねじがいくらでも回る。『バカになってる。』やはり振動でねじがだめになったらしい。オイルラインの所でねじが特殊なため、バイク屋にもって行く事にする。

[バイク]

1994年09月12日

前書き

広大な大地。地平線の彼方へと続く道。日本でのツーリングには少しばかり飽きていた。日本のどこへ行っても前に来たことがあったかなと、何を見ても同じように見えてしまう感覚。日本では感じることの出来ないそんな大地に憧れていたのかも知れない。オーストラリアの写真やニュースを見るたびに思いは強くなり、真っ赤な大陸をオートバイで走ってみたいという思いになっていく。。そして1995年6月オーストラリアへ…

 

ブリスベン(6月30日〜9月12日)

<不安と期待とバイクの購入>

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ブリスベンの街にて

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マウントクーサに行く途中

『オーストラリアの大地を早く走ってみたい』という思いと、あらゆる事に対する不安とともに「ブリスベン」に向けて日本を後にした。バイクでオーストラリアを走る人は、情報の多いシドニーに入るのが普通だが、『大都市よりコンパクトな街の方が歩きやすい!』という日本での経験をもとにシドニーではない街へ行くことにした。亜熱帯の気候で日本と違う感じかも知れないという期待もあった。しかし日本でバイクの情報が入るのはシドニーばかり。旅に出たらなんとかなるとは分かっていても心の中は不安だらけ。初めて一人でロングツーリングに行ったときのようにワクワクとドキドキの不思議な感覚が心の中でいりまじっていた。

海外旅行は初めてではなかった。英語ができなくてもなんとかなるとは思っていた。でも「せっかく英語圏に来ているのだから」「この先ツーリング中にも日本人以外の人々と話しがしてみたい」という思いから、まず英語を勉強しながら海外での生活を楽むことにした。とにかく時間はたくさんあるのだから、あせって旅に出るよりも旅が楽しく充実するよう腰をすえてのぞんでみる。

ブリスベンでの生活に慣れてきたころ、ツーリングに使うバイクを買いに行った。俺としては600ccクラスのオフ車がいいと思ってた。実際走り終えた実感としても、このクラスのオフ車か350ccくらいのバイクが一番オーストラリアに合っていると思う。しかし俺の相棒は、バイク屋で一目惚れしたホンダのXLV750R。オーバーサイズ、オーバーウェイトのオフローダー。その時は激しいダートロードに行く気もなかったし、バイクの程度も良く、値段も安く、600ccクラスのオフ車が高かったと言うこともあってXLV750Rを購入した。このバイクの欠点が分かってはいたけど、その重量感やバカさかげんが妙に気に入ったのだ。

 

ブリスベン→ケアンズ(9月13日〜10月4日)

<旅立つ>

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ヌーサ

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ホエールウォッチング

こちらに来てから2か月ほどたち、俺はブリスベンでの日常的な生活には飽きはじめていた。もちろん日本とは違った環境の中でいろいろな発見はあったが、旅が目的だったこともあり早く旅に出たかった。

オーストラリア一周への出発日の前日に工具やスペアパーツ、そして日本でずっと愛用していたテントやストーブ等を慎重にパッキング。明日から始まる長い長いツーリングに胸を高鳴らせながら夜がふけていった。

いよいよ大陸一周への旅が始まる。ジャスト昼の12時、世話になった人に再会を約束してブリスベンの走りなれた道を北へと向かう。基本的なルートは1号線を使う予定。というか選ぶような道はそれほど無いのだった。まずこの区間での見どころは、ヌーサのビーチ、時期にもよるがハーヴィーベイでのホエールウォッチング、世界で一番大きな砂で出来た島フレーザー島、ウィットサンデーの美しい島々等。その中でも俺の一番印象が強いのはフレーザー島。この島は本当に美しい。日本人ライダーのほとんどが通過してしまうところなのだが、美しい川などほとんど手付かずの自然と野生動物。そして道路は全部砂。この島には宿泊施設もほとんど無く、みんなキャンプをそれぞれ楽しんでいる。キャンプを楽しむといっても、日本のように家族でのコミュニケーションをとるためにオートキャンプしているという感覚ではなく、純粋に自然を楽しむためにキャンプしている人が多い。こんなに素晴らしいところがあるなんて。

 

<フレーザー島でのこと>

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フレーザー島の道

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マッケンジー湖

なにはともあれ、ここでこの旅で初めての出会いがあった。彼らの名前はフィッシャー。キャンピンググランドで知り合ったフィッシャー一家はホリデーでシドニーからの家族旅行を楽しんでいた。彼らは当然のように夕食に招待してくれ、オーストラリア流の食事をとりながら日本のことやオーストラリアのことについていろいろ話しをした。お父さんのヒューは米の研究をしているそうで、日本での農業について非常に関心があった。お母さんのロザリンはウクレレとギターを教えているそうで、日本の楽器に興味を持っていた。子供達は日本の遊びを知りたがった。かなりいいかげんな英語を使って、聞いたり教えたり。英語を話せると言うことよりも、知識を持っていることの方が大切に感じた瞬間でもあった。話しはみんな真剣に聞いてくれるし、分かりやすい英語で話しを聞かせてくれるので、楽しい夜があっという間にすぎていった。

次の日、子供達のベンジャミンとティモシーと俺の3人で、キャンピンググランドからマッケンジー湖まで歩くことになった。マッケンジー湖はこの島で最も美しい湖で、ヒューとロザリンは車で先に湖まで行き、昼食を準備しておくとのこと。3人は意気揚々と昼飯に向かって川を渡り湖を泳ぎながら突き進む。2人は元気一杯に。俺はゼイゼイ。子供達とたくさん会話しながらの楽しいトレッキングだった。「子供のうちからいろんな人種に接するというのは、いいことだなきっと。」とか真面 目なコトも考えたりしてるうちに湖に到着して昼飯を食べる。楽しい時間の中のご飯はやっぱりうまいね。

 

<悪いやつもいるもんだ>

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バンダバーグ近郊

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グレートケッペル島

フィシャー一家に別れを告げ、1号線を北上しロックハンプトンに向かっていた。少し前からバイクがおかしい。昨日まであんなに調子の良かったバイクがスピードもだしていないのにオーバーヒートするのだ。自分で思いつく可能性を考えてみる。まず考えられるのはオイルが無いということ。しかしオイルは十分に入っている。どうやらオイルがまわっていないようで、オイルラインの詰まりかオイルポンプのようだった。まわりを見渡して見る。なにもない。『ここでは直せない。』トラブルが発生した時、この国の大きさを実感した。この世の中にただ自分ひとりしかいないよう。ロックハンプトンの町まで約70km、何度も休憩をいれながらただエンジンを壊さないように走っていく。たった70kmの距離なのに、途方も長い距離感じられた。

原因究明まで時間がかかり、俺は1ヶ月半もの間ロックハンプトンの町で過ごしていた。もうアキアキだよ。結局のところ、バイク屋にエンジンを開けて調べてもらったところでは、オイルポンプの詰まりとのことだった。『こんなトラブルもあるんだなー、お金もかっかちゃたし無駄な時間も過ごしたけどまあしょうがねーな。』と自分自信で納得していたところで、バイク屋の説明があった。「これは誰かにイタズラされたみたいだね。みてみろこれ。」と言って石のようなものをだす。どうやらそれをオイルの注入口から入れられたらしい。考えてみればここへ来る間のキャンプ場で思い当たるフシが無いわけでもない。多少落ち込みつつも、仕方のない事として諦める事にする。バイクはむきだしだ。イタズラしようと思えばいくらでも出来る。盗まれなかっただけマシ。旅が続けられる喜びのほうが大きい。

 

ケアンズ→ケープヨーク(10月4日〜10月17日)

<ケープヨークへ>

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3人でTOPを目指す

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船で川を渡る

タウンズビルの町で会った飲んだくれスコットランド人ライダーのケビンに案内され、とあるバックパッカーズに泊まっていた。そこは日本人のライダーが大勢宿泊している安宿で、俺にしてみればあまり泊まりたくない宿の1つだったのだが、そんな宿に泊まったのにはもちろんワケがあった。ここまで来る途中に話しをしたライダーみんながケープヨークに行くべきだと言うのだ。「そこはたいへん美しくオーストラリアが凝縮されている。」「そこがオーストラリアNO.1の道だ。」何がNO.1なのかよくわからないのだが、とにかく行ってみたいと思ったのだった。しかしケープヨークへの道は、砂あり、川あり、地割れありのケアンズから約1000KMの道。もちろんその間に町らしい町はないし、バイクの墓場でもあるらしい。そして運の悪いことに俺のバイクは750cc。どう考えても1人でいくのは危険であると感じた。現にDR800のドイツ人ライダーから、砂でスタックし一人では脱出できなかったと聞いていた。だから俺はケープへの道を一緒に行く仲間を求めここにきたのだった。

行程を共にする仲間はすぐにみつかった。1人はカズさん、もう一人はトール。それぞれXT250、XT600に乗っている。俺のバイクが一番分が悪そう。あまりにでかすぎてクソ重い。舗装路なら負けないのに…。

俺達の考えたルートは、最初海岸ぞいをクックタウンまで北上、そこからレイクフィールドナショナルパークの中を通 り、メインのルートに出る。そこからはもう道は一本しかない。最北端のトップまで3日の行程だ。

海岸沿いの道は上り下りの激しい日本の林道のような道プラス砂。急な下りでブはレーキをかけても止まれないところもあった。ヒヤヒヤしながら走っていると、トールがこけた。その時の俺のバイクのスピードは5km。トールを避けるためブレーキを少しかけた瞬間、タイヤはロックしながらそのままおちていく。『坂の途中じゃ止まれない。坂を下りたら助けに行こう。』その時追突しそうになりながらもなんとか態勢を立て直し、バイクを止め彼を助けに行く。彼はもう全身真っ赤になっている。ここまでの間にも彼は何度か転倒しているからだ。『こんな感じでトップへ行けるのだろうか。』頭の中にそんな思いがよぎる。その日の走行はクックタウンまで。あまりの道のひどさで距離があまりのびない。

 

<前兆>

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ケープヨークの道

クックタウンでトールのバイクを改造することになった。彼の体にXT600があってなく片足ツンツン状態なので、その対応策としてシートのアンコぬきをすることにしたのだ。その結果は両足がつくようにり安心感がました感じ。3人は意気揚々と出発。クックタウンからラウラまでの道はアップダウンは無いものの、ダストホールが突然現れるヒドイ道。ダストホールとは穴に細かい砂が溜まっているもので、堅い路面に突然出現する。80km位のスピードで走っている時に急にそんな穴が出てくるのでたっまたものではない。何度もハンドルをとられながら冷や汗をかく。そんな道をクリアしている時、前を走っているトールが突然止まった。彼のXTは転倒を何度も繰り返す内に調子が最悪になっていた。何度キックをしてもエンジンがかからない。とりあえず彼のバイクをチェック。オイルが少ない。エアクリーナーのボックスに大きな穴があいていてエレメントは砂で真っ赤。とにかくオイルの補充とエアクリーナー清掃でエンジンはなんとかかかったが、煙を噴きまくるバイクを見て『もうエンジン開けないとダメじゃないのか。』と感じていた。

 

<最悪の日>

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蟻塚が現れはじめた

またかと言う感じでトールのバイクのエンジンがとまる。彼のバイクは、このところいつも白い煙りを2ストロークのバイクのように吐きながら走っている。俺はもう彼はこれ以上無理だろうと感じていた。非常に冷たい言い方だがウンザリしていた。おそらくカズも。もちろんトールの前では2人とも平静を装っていたし、はげましていた。トールの気持ちや立場もすごくよくわかったし『俺達はぜんぜん気にしていないから。』というスタンスだったが、さりげなく『今回は諦めたら?』的な助言もしていた。トールが「ラウラの町で諦める。」と自分から言ったとき、俺とカズは彼の悔しさ、自分の甘さや無力さ、やりきれなさが痛いほどわかった。あまり詳しくは書かないが、彼はこの後、転倒によって、骨折。フライングドクターの飛行機でケアンズへ戻った。彼が去った日、俺とカズはあまり彼のことには触れずに、少し苦い紅茶を飲んでシュラフにくるまった。

 

<トラブル>

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蟻塚がどんどん大きくなる

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奥へ奥へと進んでいく

トールへの手紙を書いた後、俺とカズは2人で北へと向かう。ラウラからメインロードに入りペースがかなり上がりはじめる。道がいいのだ。いいといってもコルゲーションという洗濯板状のダートなのだが。

「最初からこっちの道にくればトールもいけたかもな。」とカズが言う。『あの時ああしておいたら…』というのは無意味な事なのは分かってはいるのだが、ついついトールの話しになってしまう。時々彼のことが頭をよぎりながらも、あり塚が今までに見たことのない大きさに大きくなっていくのに感動しながら、ひた走る。

アーチャリバーという町から先約350kmガソリンスタンドは無い。ガソリンを十分に補給して、バイクの各部をチェックする。マフラーのステーが両側とも『折れてる。』。片側はここまでくる途中に気がついて、ハリガネで応急処置はしておいたのだが、それも折れ、もう一方のステーも折れているのだ。とにかく激しいダート走行に負けない処置の仕方を考えなければならない。それには俺の持っているハリガネでは細すぎるのでガソリンスタンドのおやじに太いハリガネがないか聞いてみるが、無い。俺の持っているはりがねで普通に応急処置したら、また折れてしまうのは目にみえている。『次から次へとまったく…。』アイデアを絞りだして処置の仕方を考える。細い針金で太い針金を作って、ステーを作り、それをゴムのツーリングネットで止めた。直接とめると擦れてそこから折れてしまうので、ゴムでショックを吸収するのだ。なにもないところでは、アイデアで勝負だ。

 

<トップへ>

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見所のエリオットフォール

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トップ!

アーチャリバーの先でトップへの道は二手に分かれる。OLDロードとNEWロード。OLDは道も細く川渡りもあり、もちろん道自体も悪い。俺達は行きにOLD、帰りにNEWを通る事にした。OLDの砂にタイヤをとられてケープヨークでの初転倒。フレーザーで砂道を練習したとはいえやっぱりバイクが重すぎる。自分で選んだバイクなのに後悔しはじめた。『軽いバイクにしときゃ良かった。』と心底思う。

『砂はキライだ。』一度転ぶと荷物を下ろさないと引き起こせない。バイクは重いし、道は砂だ。カズさんは気づかずにドンドン先にいってしまう。『1人で来ても同じじゃないか。』ブツブツ小言を言いながら200kgもあるバイクを引き起こす。この後数回転倒したが、カズさんは一度も気づいてくれなかった。それにしてもこの道、『エンデューロレースやってるんじゃないぞー。このやろー!』

俺達はトップにあるセイシアの町のキャラバンパークに泊まっていた。今日はいよいよ最北端のTOP OF THE CAPE YORKへ。セイシアから約30km、オーストラリアの広さからすれば『ちょっとそこまで行って来る。』という感じでだ。カズさんと連れ添い、バイクを走らせる。バイクを止め、岩の道を歩く。2人の胸は高鳴り、会話がはずむ。そしてトップ。なんともいえなくキレイだ。天気も曇り、景色だって後で考えてみればたいしたことはないのかも知れない。でもその時は海の流れの早さ、岩の上に座っている自分、遠くに見える島、ビーチ、2人しか人の気配を感じることのできない静寂さ、そして波の音、すべてに感動する。2人とも何も喋らない。1時間…2時間…、さっきまであんなにはずんでいた会話がない。ただただ自分のなかで感動する。トールと3人で乾杯したかった。

 

<トップでの釣り>

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セイシアのキャンプ場で乾杯

セイシアのキャンプ場の前には、ビーチとそこから突き出た桟橋がある。とても暑いところなので、ビーチでひと泳ぎといきたいところなのだが、ここにはサメとワニがいるのでよほどの覚悟がないと泳ぐことは出来ない。ワニが海にもいるということを始めて知った。俺は一時の快感を求めて彼等の餌食になるのはイヤだったので、ビールでも飲んでガマンすることにする。しかし、トップでは泳ぐことが出来ないかわりに、非常に面白いことがあるのだ。桟橋からのつりがとにかく最高。なんと糸と針さえあれば60cmもある魚が釣れる。まず針を桟橋の下にいる小魚の群れにめがけてたらしてみる。そこでクイッとやると20cmほどの魚を引っかける。日本だったらこれでもう大満足だが、それを沖へ投げてみる。グググッという手応えとともに60cmほどの魚が…。信じられない。入れ食いである。何人もアボリジニの釣人がいるが、釣りすぎないようにしているのか必要な分を釣ったら帰ってしまうみたいである。俺達は糸がちょっと細くて、糸を切られてばかりで2匹しか釣れなかった。それでも十分!夕食はもちろん魚だ。

 

<再びケアンズへ>

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ニューロードにも砂道が

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ナンバーに穴があく

ここまで来ておいてケアンズまで同じ道を帰るのを考えたくなかった。考えると憂欝だった。と同時に街へ早く戻りたいと思いもあった。やはり俺達は文明のある生活を欲するみたい。街で生活しているとむしょうに自然の中に行きたいと思い、圧倒的な自然のなかにいると街が恋しくなる。人間なんてワガママだ。そして街へ向かってオーストラリアのダートロードを南下する。かなり道は走り慣れていたし、一度通った道ということでかなり順調にケアンズまで走ることが出来た。トラブルといえばナンバーに穴があいて、落ちかけたことぐらいだ。

トップからケアンズまでは3日。トップから約700kmで俺達は舗装路にはいった。『もう大丈夫だ。』俺のバイクはまだマフラーのステーに爆弾を持っていたのだ。ケアンズの街が脳裏によぎる。というより、宿の前のハンバーガー屋やパブなどだったが。『トールはどうしているだろうか。』という思いが一番強い。
PM2時30分、ウールワースというスーパーでトールへのお見舞いを買って、俺とカズはバックパッカーズへ到着した。当然2人の顔がほころび喜びをわかちあう。『やったぜ。』しかし、俺達の心には少し気になることがあった。そう、トールのことだ。そんな俺達をトールは笑顔で「おめでとう。」といってくれた。彼はもちろん悔しかったのだろうが、それを微塵も感じさせない明るさで俺達を向かえてくれ、俺達は救われた。彼はまたいつの日かケープに挑戦するそうだ。是非行ってもらいたいものだ。

[バイク]

1994年06月13日

初めての海外ツーリング。乾いた大地を走る。
XLV750 1994.6-1995.4  24000km

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