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1995年02月07日

パース→ドーニーブローク(12月4日〜2月17日)

<朝7時の出会い>

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話題を呼んだ謎の女性

俺はキャンプ生活の名残で、朝の6時30分には起きていた。飯を食い、シャワーをあびると朝7時。この朝7時にシャワールームでここ何日も一人の女性といつもすれちがっていた。当然、あいさつが俺の日課となる。ちなみにワカメちゃんも毎日7時ごろ彼女を見ているらしい。朝7時の謎の女性、正体はこの宿でバイトをしているだけだったのだが、夕方彼女に会った時、話しかけてみた。「名前は?どこから来たの?」など簡単な事から徐々に聞いていく。よくツーリングの先々で皆がやることだ。ただ違うのは、相手が外国人女性ということで、少し勇気がいるということ。彼女は日本人の男性に話しかけられたのは初めてだと言っていた。彼女が日本人であったらすぐに日本人の男がよって来るようなカワイさだったが、やはり言葉の壁が邪魔をしているようだ。俺は言葉はたいした問題じゃない、最初の勇気だけだと思うのだが。まあそんなキッカケでたまに話しをするようになっていった。

 

<小排気量車の欠点>

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KMANさん

旅立つワカメちゃんはクリスマスを待たずにパースを出るらしい。CTが遅くて、ビザがあるうちに一周出来ないので仕方なく出発するそうだ。こうなると小さいバイクも考え物だ。小排気量バイクで一周に羨ましさはあったが、俺は長くいたい所では長く滞在したい。とにかく彼は出発するのだ。もう彼とはオーストラリアで会わないだろう。豪勢な晩飯を作り、お別 れパーティーをした。翌朝、彼の旅の成功と日本での再会を願いながら、彼の旅立ちを見送る。

 

<パーティー三昧>

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パースの楽しい日々

ワカメちゃんが去った後、俺は朝7時の女性のラトナーに誘われ、パーティー等のイベントに参加したのをキッカケに宿に宿泊している外人達と親しくなっていく。学生の頃にもどったかのような飲みっぷりと、酔った勢いで、得意のデマカセ英語を使いまくる。彼らも楽しく一緒に過ごせるやつは日本人だろうがなんだろうが関係ない。この宿にきてから、2週間後には俺は知らない人のパーティーにまで誘われるようになっていた。そこでの話しだが、ドイツ人の人に、「こういうパーティーに日本人が来ているのを初めてみた。日本人は外人と会話をしたがらない。おまえらは日本人どうしで固まりすぎだ。」と言っていた。俺はもちろん反論したが、そうなのだ、彼らからはそういうふうに見えるのだ。俺達の立場から見ると、英語がはなせず中に入って行けないだけなのに。ヨーロッパ系の人もいい加減な英語を使う、正確な英語でなくてもいいから、ノリのいい英語を使う事が、友達を作る秘訣だ。何度もいうが、言葉はたいした問題じゃない。クリスマスを宿の仲間と過ごし、新年もパーッとビーチで騒いだ。毎日がパーティーで、楽しかったし俺の英語も飛躍的に伸びた。しかしそのお陰で、お金がヤバイ状況になってきていた。『働くしかない!』俺はどこで働くか検討中していた。そんな時に友達のオーストラリア人も金がなくなり、農場へ働きにいくという。お金をてっとりばやく稼ぐのに、農場は都合がいい。俺も彼についていき、一緒に仕事を探すことにした。

ついにこの宿を去る時がきた。宿に宿泊しているほとんどの人ともう知り合いになっていた。飲みにいったり、スポーツしたり、いろいろな想い出があった。少し寂しいが、お金が無いのだから仕方ない。特に親しかったラトナー、ウッディーとジャスティンに再会の約束をし、新たなる滞在地ドーニーブロークへ向けて旅立った。

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パースの街

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宿の12:01

 

<働く>

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イリゲーションの仕事を始めた

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果樹園での愛車

パースからドーニーブロークまでは200km程しかない。アッと言う間に町へついた。宿をすんなりと決め、部屋はパースからの道連れ、ハスとウェインと同じ部屋になった。ちなみに部屋は6人部屋だった。6人部屋を3人で使えるのは気持ちいい、それにパースの宿よりもここの方が清潔でいい感じだ。

翌日からハスの車で仕事探しを始めた。何件かの農場を回り、ハスは一つ仕事を打診したらしい。それはトラクターに乗る仕事だった。あと二人分の仕事を得なければならないが、なかなかない。結局この日は一つの仕事しか得ることができなかった。その翌日もまた農場を回る。ない。今は収穫のシーズンじゃないので、あまり仕事がないのだ。数日後ハスは仕事に就き、ウェインも仕事を得た。焦る。毎日毎日バイクで農場回りだ。オーストラリアでは何度も足を運ぶと仕事が貰えるらしい。俺も一週間後には何件か仕事を得られそうな所を見つけたが、最終的にはハスの紹介で同じ農場で働くことに決めた。自分で探した所より給料が良かったからだ。

 

<パースへの小旅行>

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沖縄旅行からの友人トシと再会

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ラトナーとお別れ

約1か月半もの間俺はここで働くことになる。俺の仕事はイリゲーションといって、スプリンクラーの移動と設置だ。仕事の事は思い出したくないのでさておき、この間に俺はパースへ行く用事が出来て、休みを利用してパースへ行く。事情があって俺の仲間は宿を移っていたが、再会でき、話し込む。その時日本人に「外人と話しているから日本人じゃないと思いましたよ。」といわれた。なんだかむしょうに寂しさが込み上げて来たが、とにかく知った仲間と飲みに行く。信じられないがほとんどの人がまだパースにいたのだ。それに、どうやら今日はたまたまラトナーの誕生日だったらしい。彼女に「タカ、プレゼントは?」と言われたが、プレゼントなんて無かったので、歌を歌った。すごく恥ずかしかったが、また一日パースでのいい想い出が残った。

 

<男性と女性>

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月〜土まで12〜14時間働く

ドーニーに戻り、また辛い日々が続く。俺はオージーとペアを組んで仕事をしていたが、相棒がやな奴なのだ。『思いだしたくもない!』そんな俺の楽しみは仕事後の宿でのだんらんだった。

空いているベッドに女性が来た。彼女達はイギリス人2人とオランダ人1人で、トランプしたり、仕事のグチをいいあったりと、いい友達になっていった。ところで彼女達も日本人男性と話すのは初めてだったそうだ。よく日本人男性は人気がなく日本人女性は人気があると言われているが、日本人男性は人気がないなんて大ウソだ。確かに日本人男性が外国人女性と仲良くなるということは少ないのだが、また日本人女性は人気があるといわれるが、外人男性がただ声をかけるからということらしい。別に彼女ら外人女性も、日本人を嫌っているわけではない。いやむしろ、日本に対して興味を持っている人が多いくらいだ。日本国内でも、女性から男性に声をかけることは少ない。国外でも同じことで、男性が女性に声をかけなければならないのだ。これに気がついてからは男性女性の区別 なく友人が出来はじめた。

1994年12月03日

ブルーム→パース(10月14日〜12月3日)

<アリ>

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ブルームのキャンプ場

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ケーブルビーチの夕日

ブルームで再び溶接をたのむ。こんどは見た目は少し悪いが、しっかりと溶接してもらった。バイクのフレーム以外は好調なので、この町に長居する必要はなかったが、キャンプ場のロケーションが良かったので、十日位ここでのんびりしようと決めた。キャンプ場でアリの巣をさけてテントをはる。海の近くなので、夜は涼しそうだ。

夕飯を作ろうと思い、バッグから米の袋を出して愕然とした。『アリだ。』米の白さの中に赤茶色い小さなアリがうごめいている。よく見るとテントの中にアリの行列ができているではないか。『どこから入って来たんだコイツ。』という疑問と同時に『今日の飯はこれしかないぞ。』ということを思い出す。ひとまずアリの行列はそのままにしておいて、できる限りのアリを取り除き、今日の夕飯を作った。この日からアリと俺との格闘がはじまるのだ。

次の日虫除けスプレーをワカメちゃんと買いに行った。彼も同じキャンプ場に泊まっており、少なからずアリに悩まされているようだ。キャンプ場に戻り、早速スプレーを使ってみる。「スゴイ臭いだよコレ。」たしかに匂いは強烈でいかにも効きそうだ。ワカメちゃんがアリの行列にスプレーしてみる。「即死だ。」殺虫剤じゃないかというほど強力だ!彼のスプレーを借り、自分のテントに使用して、アリを即死させる。その上でチャックなどのアリがはいってきそうな所にスプレーしておく。『とりあえずこれで平気だろう。』

朝起きて、インスタントラーメンを食べようと袋を出したところ、またもやアリが袋の中でうごめいている。『ンモー、マジかよ。袋は開いていなんだぞ。』どうやら袋を食い破って俺のラーメンをかじっていたようである。『俺の飯』食うなよな。でもたいしたもんだよ。君たちは。』ここまでやられると、アリに対して敬意さえ感じてくる。俺はアリ入りのラーメンをすすりながら、アリ対策を考えていた。

食べ物をかばんに入れ、かばんに虫除けスプレーをかけてきちんとチャックを締めておいたらアリがたからない。要はきちんと管理していれば問題ないことを発見した。ただし少しでも気を緩めるとアリはかばんの中に侵入してくる。 他のキャンパーはどうなのだろうと思い、知り合いになった人の車を覗いてみる。『アリだ。』車のタイヤをつたわって、車内に侵入している。ブルームのアリは強力だ。

キャンプ場の前のコバルトブルーのビーチで朝泳いで、昼から釣りをしたり、アサリや巻き貝をとって飯を食うという夢のような生活を一週間程楽しんでいたが、毎日が少し単調になってきた。『そろそろ旅に出るか。』まだ見ぬ 大都会パースをめざして南下をはじめた。

 

<南下開始>

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道ばたで

『ワカメちゃんにはいつ追いくだろう。』かれは数日前に旅立っていた。『彼のバイクのペースは舗装路で一日約250kmと言っていた。俺は一日に500km位 か。』などという事を何度も繰り返し考えながら単調な道を走る。今はブルームを出てグレートサンディー砂漠を通過中だ。砂漠と言っても低い灌木は生えているし今までの道とそう変わりばえしない。目を楽しませてくれたものと言ったら、竜巻くらいだろうか。あちこちに竜巻が上がっている。大きいもの小さいもの。TVで見るようなもの凄いものではないが、何本も竜巻があるというのが凄い。しかし凄い凄いと感動しながらもそれがひたすら続くのですぐに飽きてしまう。オーストラリアの道はどこでもそうだ。面白いものや変わったものが出てきても、それが永遠何時間も続くのだからたまらない。

オーストラリアではバイクなんてちっぽけなものだ。『この国ではバイクは不便だし旅にはむかない。』本心からそう思う。しかし俺は旅している。俺は広い広いこの大地が見たかったのだ。バスや飛行機、電車ではこの広さは感じられない。バイクは最高だ。

 

<ひらめきそして、、>

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パンク修理中

ブルームを出てからの最初の町は、南に約600kmにあるポートヘッドランドという町だ。皆、普通はここで宿をとるようだが、どうも気にいらなかったので200km走って次の町カラーサへ行くことにする。気にいった所や興味を持った所で長く滞在し、そうでない所はサッサといってしまうのが俺の旅のスタイルだ。だから観光地をひたすら回るなんてことも俺はしないし、観光地へ行かなかっかたからもったいないなんて思わない。自分のヒラメキを大切にしている。ポートヘッドランドは俺は興味が持てなかった。ただそれだけだ。逆にカラーサはカラーサに住んでいるオージーに会って、いろいろ聞いていたので、行ってみたかった。今日はまだ200km弱しか走っていない。あと200kmを進む体力もあるし、明るい内につけそうなので先へ進む事にした。

カラーサの手前10kmで夕方になっていた。明るいうちにつけると安心していたところで、前タイヤが少し変だと気がついた。『パンクだ。』と思ったと同時に『明るい内でよかった。』と安心した。暗くなったら街灯は無いのだ。バイクを路肩に止め、作業を開始する。『パンク修理はお手のものだ。問題ない。』と思って作業していると、車が止まってくれた。「どうしたんだ。大丈夫か。」と心配ように話しかけてくるので、「大丈夫だ。直せるから。」と答えた。しかし彼は不安なようで「もしなんなら車に乗せて行くぞ。」と親切に聞いてくれる。『やっぱりトラブルがあった時はお互いさまなんだな。』と妙に感動しながらも「大丈夫だ。」と答えて作業を再開した。するとまた一台の車が止まってくれた。「どうしたんだ。大丈夫か。」と聞いてくる。『やっぱりオージーは親切だ。』と思いながら、事情を説明して、別れる。するとまた一台の車が…。何台かに一台が止まって尋ねてくれる。そのたび「大丈夫か?」と聞かれる。この国で車のトラブルは非常に重要な問題なので、助け合いの精神が発達しているようだ。しかし、町から近く、おまけに夕方だったので車の通りが多く尋ねてくれる人数が多すぎる。おまけに世間話しを始める人までいる。『これじゃ作業にならないよ。』と思いながら、ついつい一緒に世間話しをしてしまう。『なんでギブリバーロードの時は誰も声をかけてくれなかったんだろう?』という疑問を抱きつつも、タイヤの修理を終え、カラーサの町へ向かった。ちなみにパンクの修理には1時間30分もかかってしまった。1時間位 は話しをしていたという事か。もう空は暗くなっていた。

 

<整備されていく道>

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カンナミユキストックルート

日本人にだけ有名なカンナミユキストックルートというものがある。ストックルートといっても日本人がかってに名前をつけただけで、ただの40kmのダートロードである。なぜそんな名前がついたかは地球の歩き方ツーリング&ドライブを読んでもらうとして、このカンナミユキストックルートを俺は走っていた。道は非常によく整備されていて、なにも問題なく通過したが、ダートの最後の方は舗装工事が始まっていた。もうすぐこの道もダートではなくなってしまうのだろう。しかしこんなに利用頻度の高い道が今までダートだったのが不思議だ。

カンナミユキを抜けたエクスマスのあたりの道は、見飽きていたブッシュの道から草原の道へと変化した。写真に撮ってしまうと似てしまうような道でも、その場にいるとちょっとしたことが大きな違いとなって見えてくる。平原に山があるとうれしい。木の種類が変わると嬉しい。土の色が変わっただけでも嬉しいのだ。

 

<コーラルベイ>

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コーラルベイ

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夕食ゲット

コーラルベイでワカメちゃんに追いついた。コーラルベイは名前負けしないくらい美しいところで俺はここに3泊くらいしてみようという気になっていた。もちろんキャンプでだ。宿には日本人バックパッカーがたくさんいたようだがキャンプ場にはワカメちゃんしか日本人はいなかった。『わかめちゃんもキャンプ好きだねぇ。』

世界中どこへ行っても日本人は多いが、俺は日本人同志でグループを作っているのはあまり好きではない。どうせなら、その土地の人と話してみたいと思う。それには少し寂しい時もあるが、キャラバンパークに泊まるのが一番だと思う。ワカメちゃんも似た考えのようで、日本人でグループの中に入るのが嫌いなようだ。もっとも俺達二人は日本人だから、グループを作っているように見えるかもしれないが。

コーラルベイは楽しくて、結局四泊したが毎日釣りをしていた。釣れる魚はカラフルな魚ばかりだが、もちろん夕食としておいしくいただいた。キャンプ場はきれいだし、アリもいない。なにもかもが快適だった。

 

<リゾート>

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モンキーマイヤ

野生のイルカの餌ずけに成功して有名になったモンキーマイヤへイルカが触れるらしいということで行ってみる。到着してすぐにテントを張り、海へ行ってみる。静かだ。まだイルカは来ていないらしい。野生のイルカなので、いつでも見れる水族館とはわけが違うが、毎日数回おなかがすくとやってくるらしい。日陰で昼寝をしながらのんびりと待つ。

フッと目が覚め海に目をやると海に人だかりができている。『イルカがきている。やられた。』急いで近づいて、触ろうと手をのばしてみたが、なかなか近寄ってこない。レンジャーの人に「それ以上前へ出ないで下さい。」と俺を含め観光客みんなが注意を受けながら手をのばしていたが、イルカは気まぐれ、沖へ泳いでいってしまった。この日はもう一度イルカに触るチャンスがあったが、結局触ることはできなかった。残念。

夜、日本人の普通の観光客がバーベキューをやっていた。よく見ると、最近知り合った日本人のライダーがまじっている。『さてはご馳走になっているな。』缶詰とごはんしか食べていなかったので、早速声をかけて仲間にいれてもらう。ちょっと卑しいがご馳走の魅力には勝てなかった。いろいろな世間話しにつきあいながら、あさり焼きをご馳走になる。ここのビーチでもあさりが取れるみたいだ。そろそろ話し疲れたころ、彼らは「これからレストランで食事だから、残りのあさり食べてくださいね。」といって行ってしまった。二人取り残され、あさりを食べていると、となりでバーベキューを外人が始めた。彼らに食べさせようという事になり、話しかける。「もし良かったらこれ食べませんか?」外人はあまりこういう物は食べないんだろうなと内心冷や冷やしていたが、勇気ある女性が一口食べ、しだいに打ち解けていく。彼らにご馳走をしたからか、「夜ビデオを見るから、おまえらも来い。」と誘いを受ける。もちろん俺達はOKした。

時間になりビデオの上映場所へ行ってみるともうすでに何人か人が来ている。バーベキューをやっている人だけで映画を見るのかと思っていたのだが、かなりの大人数が来た。彼らは皆、モンキーマイヤリゾートのスタッフだった。この夜は、酒を飲みながらビデオを楽しみ、楽しい一夜を過ごした。

昨日テントの中で考えていた事があった。『ここで働けないだろうか。』さぐりをいれてみたところでは、働けそうだ。こういう所で働くのは非常にいい経験になるだろう。たいていの日本人は、日本人商売しかできない。『いいチャンスだ。』このころには転んだらタダでは起きない性格になっているし、なんでも出来ると思いこんでいる。しかしパースでクリスマスを過ごしてみたいという気持ちもある。かなり悩んだ末、俺はパースへ行くほうを選んだ。

 

<カルバリ>

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ホワイティングという魚

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夕食

『旅で寄り道は基本でしょう。』少しルートをはずれカルバリというとこへいく。宿泊はもちろんキャンプ。キャンプのしたくをして、バイクにガソリンを入れに行く。ガソリンスタンドの兄ちゃんに旅の話しを聞かれ、調子にのってベラベラ話す。そこで知り合いになって、後で彼のキャラバンに招待してもらったり、酒を飲みにいったり、楽しい時を過ごしたのだが、それには、間違った英語でもいいから、積極的に話すことが大切だ。ハッタリを半分かましながら大袈裟に大袈裟に話すのが外人相手にはちょうどいい。それに気がついてからは、それがいつも良い結果 をうんでいた。

彼にカルバリでの魚釣りのことを教わり、またもや魚釣りをする。ここではホワイティングという白ギスの一種のようなものが入れ食いで釣れる。おかげで夕食には困らなかった。

釣りの事にしてもなんにしても、宿に泊まれば親切な主人が教えてくれるのだろうが、俺はやはり商売でない普通 の人々と接し、いろいろな話しを聞きたい。

 

<ピナクルス>

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ピナクルス

パースを目の前にして早く街へ到着したいという気持ちはあったが、西海岸の目玉の一つピナクルスへは寄らなければと思っていた。日本で見たオーストラリア写真集のピナクルスの美しさと奇妙さを是非見てみたかったのだ。セルバンテスの町にキャンプを張り、さっそくピナクルスへとバイクを走らせる。ゲートにはレンジャーがいて金を取られた。帰る時はいなかったので、もう少し夕方遅くくればタダだったみたいだ。『あ〜損した!』とにかくピナクルスは俺の期待を裏切らなかった。夕日に映える奇怪な岩。なぜこうなったのかは知っていたがやはり不思議だ。自然は偉大だ。

 

<ついにパースへ>

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パースの街

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街はクリスマス一色

冗談でなく夢にみたパース。期待に胸がふくらむ。ケアンズを出てから都会的な生活はしていないし、そんな町も来る途中にはなかった。ダーウィンの街から約1か月、ずっとキャンプ生活だ。あと100km、50km、25km…。だんだん近づいてくる。『見えた!』遠くにボンヤリと見える高層ビル群。『ついにここまで来たんだ。』涙が出るほど嬉しい。

街の中へ入り、宿をさがさなければならなかった。大都会でキャンプは不便すぎるからだ。しかし俺には宿のアテがあった。ここへ来るまでの間にいろいろと情報を集めておいたからだ。俺の希望の宿は日本人が固まっていない所で宿に宿泊している外人がフレンドリーであることだった。途中で話したオーストリア人の旅人がそんな俺にピッタリの宿を教えてくれていてくれた。彼の英語は俺と同じ位のレベルでたいして話すことができないのに、その宿は凄く楽しめたというのだ。俺はそこに泊まりたいと思っていたが、ワカメちゃんと待ち合わせした宿もあったので、先にワカメちゃんと待ち合わせをした宿へ行く事にする。彼はまだ到着していないようだったが、とりあえず空き部屋を聞いてみる。「今日泊まりたいんですけど。」「ツインなら空いている。泊まるか?」と感じが悪い。ツインの値段は俺には高すぎるし、宿のオッサンの対応も悪いので、ワカメちゃんを裏切り、俺はもう一方の宿に行くことにした。

 

<偶然の再再再会>

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KMANさんと

再会パースについて3日ほどこの宿で過ごしたろうか。知り合いになったオーストラリアのライダーが俺を呼びに来た。彼はここでレセプションの仕事をしていたのだが、「お前はシゲを知っているか?」と俺に聞く。シゲという名前にピンとこなっかたのだが、「小さいバイクに乗っているやつだ。」という。『あー、ワカメちゃんだ。』「知っているけどどうしたの?」「彼がここに来ている。ついてきな。」といって俺を案内してくれ、俺は彼と再会することが出来た。「どうしたの?」「イヤー、宿がみつからなくて、ここでいいやと思って入ったら、XLVがあるじゃん。」偶然とは恐ろしい。宿はたくさんあるのに…。無事に再会を果 たし、当然、街へ繰り出した。

1994年11月14日

ダーウィン→ブルーム(10月28日〜11月14日)

<オーストラリアのバイク屋>

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ダーウィンの街で

バイク屋でまずフレームの溶接を依頼。この時TT250に乗った日本人ライダーも溶接に一緒に来た。彼もダートでサブフレームが折れたそうだ。自分で部品を外し、溶接だけしてもらう。自分で出来るところは自分でやったほうが安いのだ。なんてったて、オーストラリアは人件費が高いのだ。つぎに溶接が完了したところで、補強を頼んでみる。そうしたらバイク屋は落ちている錆びた鉄でやろうとするので、「それじゃイヤだ。」と断る。相談の結果、スチールの角パイプで作ってもらうことになり、「材料買うから明日来い。まかせておけ。」との事。ついでにエンジンのオイル漏れの事も聞いてみる。「ガスケットだな。」との返事。俺は自分で事前に調べておいたので、「ガスケットじゃない、ねじがダメなんだ。」と説明する。大丈夫なところまでいじられて、余分なお金は払いたくない。実際余分なお金をとられている人も多いと思う。オーストラリアのバイク屋の決め文句は「カムチェーンがだめだな。」と言ってエンジンを開けるのだ。そうそうカムチェーンがダメになることもないような気がするが、重症っぽいバイクはみんなこういわれていた。へんなの!とにかく、自分の行きつけのバイク屋と自分しか信頼できない。

翌日、補強を頼みにバイク屋へ行く。「今日は材料が手に入らないから、月曜に来てくれ。」とのこと。
月曜バイク屋へ。まだ材料も買っていないみたいで、補強のいれ方や取り付け方を考えこんでいる。「ダメだウチじゃあ出来ない。他の店を紹介してやる。」などと言うではないか。やってくれるならどこでもいいやと思い紹介された店へ行った。店を3軒たらいまわしにされ、結局どこもやってくれない。バイク屋へもどり「おじちゃん、なんとかしてよー。」と一応頼んでみる。なんとかするから明日来いとのこと。このころはもうオージーののんきさには慣れっこだったので、なんとかなるだろと思っていた。

バイク屋に足を運んでみる。また考えこんでいる。彼らは本当に目の前の仕事しか見えないのだろうか。「わかった、材料買っておくから明日来い。」とのこと。『本当にわかっているんだろうか。』
バイク屋に行ってみる。ここまで連日いっていたらもう半分イヤガラセだが、行かないとやってくれない。「今日はー。」「材料買っておいたぞー。」と言って自信満々とみせてくれる。「おーいいじゃないか!」とほめつつも、『やっとここまできたか。』と心のなかでこぶしを握りしめる。材料をカットして加工してバイクに取り付ける。これで時間にして1時間。こんなことに一週間もの時間を費やしたなんて。

 

<110ライダー ワカメちゃん>

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110ライダー

ダーウィンではCT110のライダーと再会。ここで初めて名前を聞く。彼の名前はわかめちゃん。もちろん本名ではない。(ちなみに本名は勝間田さん。)いろいろ話しをしているうち、出会い帳の話しがでる。どうやら、彼も出会い帳はあまり好きではないらしく、あの時俺が住所を聞かなかったことで俺を覚えていてくれたらしい。そういえば彼も俺達の住所はきかなかったな。「でも、むかしは日本で名前とか聞くのが楽しかった時もあったよね。」そういうことを俺達は知らない間にしなくなっていた。名前を聞かないのがカッコイイなんて思ってはいない。俺達は全然否定していないのだ。うまくは言えないが、なんにしろそれぞれが勝手に楽しく旅しているのだからそれでいいと思っているのだが。

ダーウィンではワカメちゃんとよく飲みに行った。彼とはいろいろな話しができた。バイクのこと、日本のこと。彼は日本一周しているので、日本のマイナーな所の話題が非常に楽しい。意外にも日本をあまり回らずにオーストラリアに来ている人が多いのだ。

ワカメちゃんは何日かまえブルームに向かって出発した。俺も出発日を決めた。今度こそ一人で走りたかった。右回りか左回りで会う人が決まってしまう。ほとんど道は一本だし、それほどみんなのペースがかわるわけでもない。フレームの補強で思ったより時間がかかったため、時間差で一人になれそうだった。フミちゃんや他の人達に別 れを告げ、カカドゥ経由でブルームへ。

 

<ひとり旅の効用>

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リッチフィールドNP

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ロストワールドへ向かう

一人で旅をするにはいくつかのメリットがある。まず気ままに移動できること。それからオーストラリアの人々と話しをするチャンスが増えること。何人かで固まっていると、むこうが話しづらいようである。ケアンズからダーウィンまでを、ほとんど日本人と過ごしてしまったことで、外人との触れ合いがあまりなかったのだ。もともと外人の友達も作ろうと思って日本を旅立っていたので、このままで終わらせるのは絶対にイヤだ。

一人になったことで、効果てきめん、外人が話し掛けて来る。もちろんこちらからも話しやすい。これから先の旅に希望を持つ。

 

<壁画>

 

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カカドゥ国立公園

カカドゥ国立公園にはアボリジニの描いた壁画がたくさん残っている。写真でみるのとは一味も二味も違う。俺は表現自体にそれほど感動を覚えなかったし、たぶん日本でその写真を見ても、ほとんどの人は決して芸術的だとは感じないと思う。しかし現地で見ると、壁画だけでなく壁画の描かれた岩や空間がそこにあり、壁画の描かれたところに生活臭さが漂っている。壁画の描かれた空間に、靴をぬいで一歩ふみだしてみた。石がなんともいえず冷んやりとして気持ちがいい。思わず『今日はここに泊まってみるか。』などと思ってしまう。かつてアボリジニがそこで生活し、生きていたという事実を深く感じ、思いを馳せながらその地を後にした。

 

<温泉で>

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ダグラスの温泉

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68才ライダー

このへんには、マタランカというガイドブックに載っている温泉以外にダグラスの温泉がある。マタランカよりも温度が高く、日本の温泉の感覚ではいることが出来るという。おフロというものにもう4か月以上はいっていなかった俺は、さっそくそこに行ってみた。情報ほどいいところではなかったが、久しぶりの熱い湯に感動する。そこで一人のオーストラリア人の68才になるライダーにあった。彼はもう15か月もオーストラリアを旅していて、30か月で一周をするそうだ。ここには3日滞在していてあと3日位ここにいると言っていたが、後で会ったライダーの話と総合すると、どうやら1か月位ここにいたようであるが。彼はのんびり自分のペースで旅を楽しんでいる。自分のペースで旅をするのは重要だ。旅ががぜん面 白くなる。

 

<ギブリバーロード>

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ギブリバーロード

カナララの先からブルームの手前までダートを使うことにする。ダート区間は700km。十分な情報を仕入れ、食料、水、そして予備のガソリンを持ちダートに突入する。ダートに入るとすぐに日本ではとても見れないような雄大な景色に遭遇する。『この道は正解だ。』一人での自由とともに、ダートロードを90km位 で巡航する。

景色がいいからといってバイクを止め景色をじっくり眺めようとは思えない。暑いのだ。気温は45〜50度、体に当たる風はまるでドライヤーの風のよう。もちろん走っていても暑い。日陰もそれほどあるわけでもない。それでも、1時間ほど走っては休憩する。自分の為ではない。バイクの為だ。ここまでも無理せず、バイクをいたわりながら走って来た。俺は一周したいのだ。

砂がないだけマシな道だ。しかしバイクにとっては酷な道だ。コルゲーションがひどい。フレームを心配しながらの行進だ。もうツーリングというより耐久レースをしているようだ。楽しい事もあれば、辛い事もある。その辛いときにもバイクをおりずにツーリングを続けるのはなぜだろう。

ブッシュでキャンプを張り、朝一番でガソリンスタンドへ行く。ガソリンがなければ先へは進めない。スタンドのオープンと同時に何台もの車がやって来る。『こいつら何処にいたんだ?』昨日は対向車2台しか見ていないのに。不思議だ。

 

<再発>

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雨あがりのギブリバーロード

またもやフレームのトラブルが再発した。ダーウィンの街で修理した溶接が弱かったらしく同じところが折れた。補強の棒をいれておいたので、その棒がつっかえ棒になって、テールや荷物が落ちることは無いのが幸いだ。違う形で役立ってしまった補強の棒を見ながら俺は苦笑いした。『やれやれまたか、まあ気楽にやるさ。』俺はひとりもくもくと修理を始めた。スパナと針金で折れた箇所を骨折を直す要領で直してやる。もうこの処置は手慣れたものだ。なにしろもう2回目なんだから。

俺のバイクから荷物がおろされ、シート等が外されている時、3台の車が素通りした。『冷たいもんだな、どう見たって俺はトラブっているのに。』車に止まってほしいわけじゃない。自分で修理出来るのだからいちいち止まられて聞かれるのもめんどくさいが、グチの一つでも言ってみたくなる。

 

<再再会>

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人が入れるバオバブの木

ダートを走り終えて、ダービーという町のキャラバンパークにたどりつき、テントサイトへ行く。『どこかで見たようなバイクがあるぞ。』すぐにワカメちゃんだとわかる。ニヤニヤしながら声をかける。「よー、ダート通ったろー。」「えっ、なんで知ってるのー」「だって道路の端にクネクネしたタイヤの跡を見たもん。」彼のバイクではダートがむちゃくちゃ辛いのを俺は知っていたので道の事を聞いてみる。「ギブリバーどうだった?」「最高に辛かったよー。すぐオーバーヒートするの。10分走ってもう休憩したりしたよ。コルゲーションもすごかったよね。」なんだかんだ言っても、走り抜けた満足感のほうが大きいようだ。俺はこの道を一泊で通ってしまったが、彼は一週間かっかって通り抜けたそうだ。俺はあんな単調な道を一週間もかけて走りたいとは思わないが、世の中こういう奴がいるのが非常に面白い。

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