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19910902

1991年9月12日-9月16日 5日間
Route:横浜→新潟→秋田→竜飛→奥入瀬→横浜

日本海側を新潟から北上。竜飛岬までのツーリング。

前に東北地方へ行ったときに自然の美しさに感動した。今度は日本海側を北上してみようと思った。
この頃は日本を旅することには慣れてきていたけれど、まだまだ旅のワクワクがありました。
大きな見所はそんなにないけれど、素朴な日本海側の旅は印象に残るものでした。
ただ日本海側を北上するときにもう少し天気が良かったらと良かったですね。
見所として印象にのこっているのは男鹿半島や小金崎不老不死温泉。
最近も不老不死温泉へいったのですが、昔の何もない素朴な感じが良かったですね。
日本海側はホント素朴だった印象があります。

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北上中

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北上中

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北上中

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鳥海山付近

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北上中

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北上中

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なまはげの土産屋

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不老不死温泉

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岩木山

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竜飛付近

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階段国道

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奥入瀬付近

1991年05月05日

1991年5月3日-5月6日 4日間
<Route>横浜→松本→木崎湖→美ヶ原→蓼科→横浜

 

会社員の旅

学校を卒業して会社員となりました。会社員になってはじめての休日。休みが短いなぁ、もう長期の旅は出来ないなと思いました。このころはオートバイの走りのペースが合うからか、四国で出会ったNEMOさんとしょっちゅう日帰りツーリングへ行っていたように思います。そして、だんだん気心の知れてきた NEMOさんとGWを利用して信州へ行くことになりました。まだオートバイでどこかへ行きたい、誰かと知り合いたいという思いが、この旅へとつながりました。GWに東北へ行ったことはありましたが、関東近郊である信州は非常に混雑していたように記憶しています。宿も、観光地も、とにかく混んでいる。それでも休みがココしかないのだから、この限られた時間の中で楽しむのだと思って旅をしていました。
今回のツーリングは最初から予定をくじかれた旅だったように思います。人気のある宿や泊まりたい宿は満室。だから宿の取れるところをベースに旅のプランを立て直しました。僕の旅のスタイルがギリギリで予約を入れるというスタイルだったため、信州のように行きやすい所では厳しかったのですね。しかし、信州というところはみんんが行きやすいところなのに、自然が美しい所がたくさんあり非常に良いツーリングになりました。

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松本城

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道ばたにて

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七島八島

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坪庭

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杖突峠

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道ばたにて

19910301

1990年3月5日-28日 24日間

 

九州から沖縄へ。バイクで走る卒業旅行。

専門学校の卒業の時がきた。
休みとあればオートバイでのツーリングに明け暮れる生活を続けてきたが、
僕はまだまだオートバイでの旅をしたいと感じていた。
当時、学校の友達はみんなで海外へ卒業旅行へいくとか言っていたような気がする。
「一緒に行かない?」なんて誘われたりもしたのだけれど、
そのときの僕は、一人でのオートバイでの旅にこだわってしまっていた。
目的地は九州。90年に九州上陸は果たしたものの、あまり走ることができずに不完全燃焼していたから。
僕は学校が終わった次の日、日向行きのフェリーに乗り込み川崎を出発した。
学校の卒業試験の発表も卒業式にも出ることもなく、
ただただ、長い時間を旅していたかったような記憶がよみがえる。

<Route>
横浜→(フェリー)→日向→佐多岬→鹿児島→指宿→鹿児島→(フェリー)→那覇→残派岬→那覇→(フェリー)→石垣島→西表島→波照間島→石垣島→那覇→辺戸岬→那覇→(フェリー)→鹿児島→島原→高千穂峡→阿蘇→別府→佐賀関→三崎→瀬戸大橋→京都→横浜

 

日向-佐多岬-長崎鼻-知覧-鹿児島

日向から青島や日南海岸を南下しながら、まずは本州最南端を僕は目指した。
日南海岸は僕の父母が結婚したころは新婚旅行のメッカだったらしい。今で言うところのハワイみたいなもの。
当時は1ドル360円はしていたはずだから、
海外って行くのは大変だったのかななんて思いながら、通過したような気がします。
佐多岬ではご多分にもれず記念写真がメイン。なんていったって本州最南端に来たという感慨がありました。
鹿児島へ向かう途中は溶岩や火山灰があるなんとも不思議。
それから、僕はたしか当時九州唯一だったライダーハウスに宿泊することになる。
そこで出会ったライダーの中に沖縄へツーリングに行っていた人がいたんだけれども、
彼の話を聞くにつれ、どんどん僕は沖縄へ行きたくなっていった。
以前の四国・九州ツーリングでも沖縄は行きたいと感じたんだけれども、時間がなく断念したので、
今回僕は沖縄へ足を運ぶことに決めました。そうと決めたら、早速船に乗りたかった。
しかし時間が合わなかったので、九州の左下(南西部)を先にまわることに決めました。
指宿の砂風呂、長崎鼻、池田湖の大ウナギ。池田湖の大ウナギはウナギにはみえないくらい大きいものでした。
なんとこれがイッシーではないかとの噂もあるそうです。
知覧の特攻博物館には名物の語りオヤジがいて、僕たちを泣かせてくれました。
戦争の特攻の若者達が書き残した遺書がたくさんあって、お国の為と強がっているものの、
最後はお母さん死にたくないというものたくさんあったり、
当時の若者の心境が語られている遺書が残っていました。戦争とは残酷なものですね。

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青島にて

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佐多岬にて

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南国ムードの道路

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桜島

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長崎鼻

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知覧の博物館

 

鹿児島-那覇-残派岬-那覇

沖縄本島で出会った旅人は一様に「離島は良かった」と口にしていました。
そんな話しを聞いていると当然離島にも行きたくなるもので、
船の時間まで沖縄本島を回り、離島へと旅立つことに決定しました。
「離島は・・」と言われていたけど、沖縄本島の海もとても美しく僕は感じたように記憶しています。
ただ、沖縄本島は交通機関が自動車しかなく、道路が非常に混雑しているのが、たまらなく嫌だったような気がします。
沖縄といえば、米軍の嘉手納基地があるのですが、飛行機は道路の上を何度も低空で横切っていました。
発着回数も僕の家から行ける厚木なんかとは比較にならないほど多く、あまりの発着の量にビックリしました。
単に飛行機を見るっていうことは楽しいのですが、特攻の若者が無駄な死を遂げた後に、
相手国だったアメリカが大手を振るって発着を繰り返しているところを考えてしまうとなんだか複雑な気持ちでしたね。
それでも飛行場の近くの道をNINJAで走っていると当時流行った
トップガンという映画のトムクルーズにでもなったような気持ち良さでしたが。

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沖縄の海

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沖縄の海で遊ぶ

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嘉手納基地付近

 

石垣島

わざわざ来て良かったと本当に思いました。
沖縄本島は人がたくさん住んでいるから、やっぱりゴミゴミしていると感じていたし
、名所のようなところはすっかり観光地になっていたから。
離島のなんとも言えない空気が非常に心地よく感じたような記憶があります。
石垣島って一日あれば一周出来て、見るところもそんなにないんだけれど、
「人」の雰囲気がなんともおおらかな印象を受けました。
また石垣島は案外都会的な部分もあり、おおらなかな雰囲気とは裏腹に観光客を目当てにした悪い人たちもいるようでした。
こんなに美しい自然の中でもその手の人たちがいるというのはとても残念に感じたように思います。

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石垣の海

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牛久保崎にて

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川平湾にて

 

西表島

ジャングルが生い茂り、マングローブ(ヒルギ)の木がニョキニョキとたっている。
ここは本当に日本なんだろうか?完全に世界の違うところまで来てしまった感じでした。
木々などの植生も日本なんだろうかと思ったことの一つでしたが、
ヘルメットをかぶらずに原付に乗っている観光客なども、さらに僕を不思議な感じにさせた一つでした。
僕は原付は借りませんでしたが、
レンタバイクのおばさんは「ヘルメットなんていらないよ、駐在さんは知り合いだから。」と言っていたそうです。
まあ実際オマワリサンはこの島に一人しかいないそうだし、信号のある交差点も島の中に一つだけということでした。
西表島にはジャングル探検やダイビングなどが僕たちツーリストの主な目的だったように思います。
ここの島はありのままの自然を是非残していってほしいと思います。

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ヒルギ

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サキシマスオウの木

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ピナイサーラの滝より

 

波照間島

ライダーの好きな場所のひとつに「はじっこ」があります。
僕もご多分にもれず最北端や岬の先端などのはじっこへ、ついつい行ってしまいます。
波照間島は人が住んでいる島では日本最南端。
旅行者は何もないといっていましが、行ってみなければ気が収まらないところでした。
実際、最南端の碑があるところまでは港から電線をたどっていけば行けるくらいに何もないところ。
それ以外の観光の名所的な所はなく、
サトウキビの畑と、サトウキビを加工している工場があるくらいだったでしょうか。
観光客が少ない島だったので島に住む人々の生活の姿がよく見えました。

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日本最南端の碑

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日本最南端

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波照間の家

 

石垣島

八重山の離島は石垣島を中心に船が出ています。そのために石垣島へ戻ってきていました。
観光らしいことはすでにしていましたので、
何をするわけでもなくゴハンを食べにいったり砂浜にいってみたりしていたように記憶しています。
3月という季節、この地方は晴れると暑く、曇ると寒いという感じだったように思います。
海開きもしていますから、晴れれば海にはいれたのですが、残念ながら曇りの日ばかり続いていました。
ぼーっと過ごしていたときに考えていたこと、それはもうそろそろ島を離れなければいけないということでした。
与那国島にも行きたい。でもバイクでもまだ走りたい。バイクで走らなければ、沖縄からフェリーで・・。
でもバイクで来た意味がない・・。やはり与那国よりもバイクだ!そんな思いを持ちながら島を後にすることになりました。

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石垣島にて

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石垣島にて

 

那覇-辺戸岬-那覇

九州へ戻るフェリーを決め、その前に沖縄本島を回ることにしました。
やはりライダーらしくハジッコをめざします。離島ではバイクにほとんど乗っていなかったのでバイクに乗るのが楽しい。
ただバイクで沖縄を走るには少しばかり注意しなければならないことがありました。
道路がよく滑ること。交差点でアクセルを不用意に開けようモノなら、すぐに後ろタイヤは滑り始めました。
これは沖縄の道路のアスファルトが暑さで溶けないように、マゼモノをしてるところからきてるらしいのですが。
本島でも町から離れ北へいくほど方言で人々の言葉がわからなくなっていきました。
那覇ではいわゆる観光地も巡りましたが、一番楽しみだったことは夜飲みにいくことでした。
その中でも山羊を食べさせてくれるお店が印象に残っています。
山羊ももちろん美味しかったのですが、頼んだものよりも多く、次から次ぎへのサービスで出てくる品々。
ありえないようなサービスにみんな大満足でした。

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辺戸岬

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辺戸岬の方面にて

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牛を運ぶ船

 

鹿児島-島原-阿蘇-四国-京都-横浜

沖縄で出会ったトシとずっと長崎あたりまで走りました。大雨の中を淡々と走っていたような記憶があります。
そして、そこから横へ移動してバイクツーリングが楽しく気持ちよくなる阿蘇へ。
ミルクロード、ヤマナミハイウェイという阿蘇の雄大な景色の中を走りました。
九州は沖縄よりもバイクで走るには楽しい場所でした。
ただ、阿蘇をすぎたあたりから急に帰らなければいけないという気持ちが強くなり、
淡々と家まで走って帰ったように思います。そういう所って記憶にあんまり残っていないんですね。
記憶に残る旅は急いではいけないと感じました。

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島原城

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天草

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ミルクロードにて

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カルデラ

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高千穂峡

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阿蘇の火口

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ヤマナミハイウェイで野焼き

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瀬戸大橋

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金閣寺

 

学生最後の旅を終えて

今考えると、社会人になってからもロングツーリングをしましたが、当時は学生最後のこのチャンスがバイクで走る長期の旅の最後になると思っていました。そのため海外旅行ではなく、バイクツーリングを選びましたが、良かったと感じています。沖縄で出会った友人たちとは15年ほどたった今でも一緒に遊ぶ仲間にです。それだけ皆、沖縄での印象が強く共有できることが多かったのだろう。学生時代に戻ることは出来ないけれど、もう一度このころの気持ちで旅をしてみたいものです。

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