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1995年03月15日

ナラボー→ブリスベン(2月〜3月)

<北上>

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殺風景なガソリンスタンド

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休憩中

ナラボーを3日で抜け、ポートオーガスタに到着した。ここで俺はタイヤの交換と、オイルの交換をしなければならなかった。オイルの方は、約3000kmで交換していたが、一週間でとっくにお3000kmは走り、もう5000km近く走ってしまっていた。タイヤはこの先交換が、当分できそうに無いから。アリススプリングスまでは十分持つと思ったが、俺はアリスへ行くつもりはなかった。エアーズロックを見るためだけにスチュワートハイウェイを往復3000kmも走るのだ。

準備を整え、北上を開始する。ポートオーガスタでオイル上がりを発見した。ピストンリングがダメになってきたのだろう。多少気は重かったが無理せずにいけば、一周は完結できると判断して、修理はしない。まだオイルが上がり初めてすぐだろうから、エンジンが止まることもないだろう。しかしもちろんパワーをかけずに走行。予備のオイルも多めに持った。

スチュワートハイウェイもまた単調な道だった。退屈だ退屈だと思いながらも非日常的な日々を過ごしていることに幸せを感じる。

今までもハエには悩まされてきたが、エアーズへ行く途中が一番凄かった。ハエといっても日本のようなギラギラした大きなものではなくて、小さいものだ。バイクを止め休憩すると、時間とともにハエが群がって来る。目、鼻、口、耳など穴という穴を攻めてくるのがたまらなく辛い。特に、耳の中でブーンと動き回るやつは最低だ。もちろんある程度は覚悟して行ったので驚きはしなかったが、本当にアイツらはどこからわきでてくるのだろう。バイクの為の休憩10分がどんなに長かったことか。

 

<地下の町>

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落下注意!

エアーズへ行く途中にクーパーペディーという町がある。オパール堀りの地下に作られた町というのが有名だが、情報が俺の頭に入りすぎていて、いまいち感動出来ない。地下に穴を掘って住んでいるというイメージがあったのだが、地上にも建物はあるし俺のイメージと相当掛け離れていたからだ。地下に掘った宿に泊まれば少しはイメージの回復もあったのかもしれないが、地上でも冷房さえあれば快適に暮らせるご時世、人寄せのためにそうしているという感がぬぐえずに、俺はこの地を早々と立ち去ってしまった。情報過多も考えものだ。

 

<神の地>

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風の谷

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マウントオルガ

マウントコナーを過ぎると、荒野の中に赤い岩がみえ始めた。まだ小さい岩にしか見えない。自分の中ではあれはエアーズロックだという確信はまだ持てない。だんだんと赤い岩が近づき、大きさと共にあれはエアーズロックだという確信に変わる。太陽の関係で相当赤い。自分がどこかへまぎれこんでしまったかのように現実感が無い。なぜこんなところにポツンと赤い岩があるのだろう。エアーズロックはアボリジニの聖地だというのも理解できる。神々しく、存在そのものが不思議だ。

エアーズへ早く行きたいが、先にマウントオルガへ行くことにした。エアーズへ行ってしまったらオルガへ行くのが面 倒になってしまうのではないかと感じたから。俺の今回の旅は、エアーズロックから始まったと言っても過言ではない位 にエアーズロックへの思いいれがある。

オルガも素晴らしかった。ある意味でオーストラリア特有の殺風景な景色であることに違いはないのだが、この辺一帯は色が違って感じる。人間を包み込むかのような光を放っている。光が優しい。
日の出前にキャンプ場を出て、エアーズに登りにいく。急な鎖場を登り、頂上へ。頂上からの風景は自分が神になったかのよう。『眼前に広がる大地はここから形勢されていったのではないのだろうか。』もう俺の旅が終わったかのような気にもなった。約3時間ほどたった後、観光客は皆いなくなった。だれもいなくなった頂上でいろいろと物思いにふけり頂上を後にした。

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エアーズロック頂上

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エアーズロック

 

<危険なこと>

パースからここまで俺はビールを飲んでいない。それはここで格別の酒を味わいたかったから。リゾート内のパブへキャンプ場で知り合いになったやつらと飲みに行く。ここまでこれたことに感謝と、これからまだ続く旅の前途を祝して乾杯。お互いの苦労話しに花が咲く。その中で一番危ない話しがこれだった。トラブルが起き2日ほど誰ともあわず、水は尽きるし、本当に死ぬかと思ったということだ。ストックルートを含めて、メジャーな道は1日に何台もの車が通るので、事故して怪我を負わなければ死ぬ事はないと俺は思うのだが、彼は本当に車通りの無い道を通っていて、本当に死ぬ一歩手前までいっていたそうだ。実際死んだら、またバカな日本人ライダーが…と新聞が書き立てるに違いない。笑い話しとして聞けないこの手の話しはよく聞くので、装備だけは注意してほしいものだ。実際日本人ライダーにくらべ外国人ライダーの方が水や工具をしっかりと持っている場合が多い。万全の準備で大自然へ挑むべきだ。

 

<分岐点>

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NSW州に入る

大満足の内に俺はエアーズロックを後にして、来た道を引き返し始めた。二度目の道だから、単調さは倍増だが、時間の流れは早く感じる。まだ夢うつつなのだろうか。

ウーダナダッタトラックへの入り口へ差しかかったが、俺はダートに入る気がもうしない。特に面白そうなダートでもなさそうだし、入った所で景色は同じだろうから。もちろん入れば違った事を感じることが出来るかもしれないが、どうも死にかけた話しを聞いて少し臆病になっていたのかも知れない。オイル上がりの不調を抱えていたとはいえ、バイクのエンジンは止まるとは思えなかったが、少しのトラブルが命取りになる可能性がないわけではない。とにかく俺はこのときダートへ入りたくなかったのだ。

そして順調にポートオーガスタの町へ戻って来た。俺はこれからの行き先を決めなければならない。俺の考えているルートは二つ。一つは内陸の寂しい道を通り、シドニーとブリスベンの間に出るルート。もう一つはタスマニア島へ渡ってからシドニー経由で帰るルート。悩んだ末、俺は内陸ルートに決めた。 タスマニア島は緑の美しい島でやはり旅人が絶賛する島だ。いつかは俺も行ってみたい島の一つだったが、サウスウエストを旅した時、緑溢れる土地が今回の俺の旅のイメージと掛け離れすぎていて、感動を受けなかった。おそらく今タスマニアへ行っても、同じことのような気がした。それよりも俺は圧倒的荒野の大地をもっと知りたかった。そんな訳で今回はタスマニア島はパスし、次回行くことに決めたのである。

 

<再び内陸へ>

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さびれた町

内陸へ入り始めてすぐに後悔した。『俺は何でこっちのルートを選んでしまったんだ。景色もなにも変わらないじゃないか。』単調な道がもうナラボーから続いている。バイクという文明の利器を使って移動しているのにこんな調子だ。それよりも昔の冒険者達は何を思って旅をしていたのだろう。どこまで行っても変わることのない景色。よく気が狂わなかったな。まあ冒険団のリーダー達は常に考え、行動しているし、忍耐強いから大丈夫だろうが、それに仕えている下っぱ達はどうだったのだろうか。いろいろ考えてみると面白い。冒険者達はこの土地にある何かを求めて冒険していた。俺達も同じだ。手段や厳しさは違うが、皆何かを追い求め旅をしている。

 

<緑と安堵と>

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草が緑だ!

海沿いの道に出る手前にニューイングランド地方という所がある。ここも一風変わった所であると俺は思う。いままでに見た事のない木が生え、オーストラリアの町ではないイメージだ。再びオーストラリアの地を踏んだら俺はまずここへ行ってみたい。アーマデール。なんと説明すればいいのか分らないが、ここは俺の心をくすぐった。もしオーストラリアに住むならここだとも思った。いままでの旅の疲れを癒してくれる、そんな土地だ。

ここまで来ると景色がガラッと変わる。牧場の草は緑だし、心なしかそれを食べる羊や牛達も元気そうだ。緑を見ただけで自分の心が安らいでいくのが分かる。緑が心地良い。

 

<仲間と再会>

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ブリスベンに到着

ついに一号線に出た。看板には常にブリスベンの文字が出てくる。涙は出なかったが、涙がでるほど嬉しい。旅が終わってしまうことより、一周出来る喜びが大きい。早くブリスベンに戻り、仲間と再会をしたい。

ブリスベンで生活していたときお世話になったバリーに電話をし、今日は彼の家に泊めてもらうことになった。電話で聞いたその声は懐かしいの一言。思えば長かった。ブリスベンを出てからもう6か月になるのだ。彼に会ったらなんと言おう。俺の旅をどういう風に伝えよう。

サーファーズを過ぎ何度も通ったことのある道になった。何もかもが懐かしい。バリーの家に行くまえに、わざと市内を走る。よく行った食べ物屋、デパート、黄色いバス、何も変わっていない。『やっと帰って来たんだ。』という実感がだんだんわいてくる。『ついに一周したんだ。』と叫ぶ。

皆でディナーを取りながら、旅の質問攻めに会う。うまく話せない英語にもどかしさを感じる。TVを見る。音楽を聞く。いままでとは違う都会の生活に戻る。
その夜、教会にいった。バリーの知り合いがたくさんいる。出発前はあまり打ち解けられなかったが、今はいとも簡単に打ち解けることが出来る。そして歌を歌う。本当に戻って来た実感がわいてきた。

バリーの車に乗る。ボロボロの彼のフォードは、新車に変わっていた。

 

<あとがき>

いろいろな体験をした。いろいろな出会いをした。人がなんといおうが、有意義な時間を過ごしたと俺は思っている。またバイクで旅に出たい。

 

<あとがき>の後書き

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ありがとうXLV

なんか、これを書いていた時が辛かった時期だから、ちょっと文章暗いね。楽しいことは楽しかったしか思い出せないのに、辛かったことは鮮明におもいだせるのよ。これが。オーストラリアで撮ってきた写真は、すごく楽しそうなのにね。それからバイク屋さん、姑息な手段をいろいろ考えて高く売りました。ごめんなさい。

1995年02月28日

ドーニーブローク→ナラボー(2月)

<再び旅へ>

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高い木と緑が印象的

社長にやめる事を告げた。農場の人々は親切だった。俺の相棒をぬかして。相棒ともう顔をあわさないですむ事も嬉しかったが、なによりもまた一周への旅へ出られる事が嬉しかった。ドーニーの宿に気心が知れた人はハスだけになってしまった。皆、金が貯まるとサッサと出ていくからだ。ウェインはニュージーランドへ行ったし、同室の彼女たちは、より金のいい農場を見つけ、パンバートンという町に移動した。俺は何の未練もなくドーニーブロークを後にしたが、心の中でもう一度パースへ行こうと決めていた。

もう知り合いは少ないだろうが、ラトナーがまだいる事は知っていた。そのため彼女に会いたいという事もあったのは確かだが、俺の古くからの友人がパースへ来ていたのだ。久し振りに思い切り日本語を話す。俺はここ2か月間日本人との接触があまりなかったので、ホッと一息ついた気分だった。思うに、日本語を話さずにずっといるとノイローゼになってしまうのではないだろうか。とにかくパースで友人と食事をしてラトナーにサヨナラを言う。いつの日かの再会の約束をして…。
想い出の街パースを後にしてまたキャンプ生活が始まった。この辺は涼しいからキャンプがしやすい。ダーウィンからブルームの間は暑かった。夜中に喉がカラカラになって何度も起きて水を補給しないとダメという状況だ。それにくらべれば、何日でもキャンプできそうだ。しかし突然話し相手がいなくなり一人の寂しさは数日間俺をつきまとった。

 

<パンバートンでのこと>

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はしごでのぼる

パンバートンという町に61mもの高さを登れる木というのがある。この木は昔ブッシュファイヤーを発見するために使われていた木で、木に棒が刺さっているだけなのだ。もちろん落ちたら自分の責任ですよという看板まである。木には簡単に登れたが、非常にあぶない木だ。

この町では木登りの他にもう一つ楽しみがあった。そう、この町で移ってきたドーニーで同室だった人達に会うことだ。夜になったら宿へ訪ねようと思っていた時、彼女らには偶然にも町に一軒のスーパーマーケットで再会を果たした。夜、彼女達と昔話に花が咲く。皆でドーニーのハスにも電話した。『この先ここまでいい出会いは無いだろうな。』ある程度長期間滞在をしないとなかなかいい友人は出来ない。うわべだけのつきあいで終わってしまうからだ。

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ドーニーで同室だった人達と再会

 

<観光地で思ったこと>

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ウェーブロック

「ウェーブロックへ行くべきか。」俺の頭は心に何度も問いかけていた。情報ではウェーブロックはたいしたことはないという事だった。それにそこへ行くにはルートを外れ、数日を費やさなければならない。正直なところ、このころ俺ははやく一周を完結させ、また友達をつくり騒ぎたかった。それほどまでにあの時間は楽しかったし、いろいろな発見があった。それにくらべ、今は走るだけの毎日。刺激がほしい。俺は街で騒ぐのもツーリングの一部だと思う。走るだけでツーリングを終わらせたくない。観光なんかしなくたて発見はどこにでもある。などと考えながらも、俺のバイクはウェーブロックへむかっていた。無駄 な時間になるのかそれは分からない。頭は行くなといっていたが、俺の体はよほどひねくれものらしい。

観光地としてのウェーブロックは良かった。もっとも皆に良くない良くないと言われ続けていたので、頭の中でヒドイものという認識があったからだ。もし皆がすごく良かったと言っていたら、俺はたいしたものには感じなかったろう。これまでもそうだった。過剰な期待をした時は、いつも裏切られ続けていた。本当に人間は勝手な生き物だ。

 

<温帯地帯>

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白い砂がまぶしい

エスペランスとアルバーニーの間で噂のキバハリアリを見た。体長約2cmで物凄いキバがついている。アリというよりまるでクワガタだ。後で知った事だがコイツはハチのようなハリを持っていて、刺されると、2週間も痛むらしい。『触らなくてよかった。』しかしこのアリは不気味だ。オレが動くとそっちをジロリとにらむのだ。非常に視覚が発達しているということがよく分かる。 オーストラリアは人間にとって危ない生物がかなりいる。ヘビ、サソリ、クモなどが有名だが、危ない生物にはかなり見る事が出来る。ヤバイものは事前にしらべておいて、対処方法も知っておきたいと感じた。
サウスウエスト地方で一番楽しみにしている所がラッキーベイだった。なぜだかは自分にも分らない。そこには雪のような白い砂と、透明感あるコバルトブルーの海があった。コバルトブルーと言っても南国の海の色とは少し違う。暖かみが無いのだろうか。少しツンツンしているというか、なんとなく人をよせつけない感じが漂っている。夏なのに風も冷たい。俺は3時間ほど海を眺め、ラッキーベイを後にした。

サウスウエストは緑溢れる土地だ。今まで走って来た不毛の大地ではない。疲れた旅人の心を癒してくれる。オーストラリアを旅した多くの人、特にオーストラリア人が素晴らしいと感じているようだ。確かに俺も素晴らしい地だと感じた。が、俺にはピンとこなかった。確かに緑の溢れるこの地もオーストラリアだが、不毛の大地こそオーストラリアらしいと俺は感じていた。不毛の大地は景色にも変化はなく退屈なのは確かだ。しかし日本では絶対に見る事はできない風景であり、また違う体験をもできる地だ。それにくらべ、サウスウエストの地は日本的な地に感じた。そんな事を感じていたので、俺は早くナラボー平原へ突入したかった。ある旅人は言った。『ナラボーは退屈だ。』そんな地を俺は走りたかった。

 

<ナラボー突入>

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ひたすら真っすぐ

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こういう所もある

ナラボーへついに突入した。ナラボーと言っても、インディアンパシフィック号の横を通るダートロードの方ではなく、1号線のほうだ。俺としてもダートを走りたかったし、パースを出た時点では走るつもりでいた。しかし俺は行かなかった。なんとなくイヤな予感がしたのだ。好調だったバイクの不調を俺が感じたからかも知れないし、調子の良い自分の体の調子が変に感じたのかもしれない。よく分らないが、長く旅をしていると妙なカンが働きはじめ、感覚が研ぎ澄まされていくようだ。その自分のカンを大切にして、俺は舗装路を選んだ。特には後悔していない。自分が無事ならまた走るチャンスを作ることが出来るから。

ナラボーは皆が言うより単調ではなかった。単調というより俺は変化のある道に感じた程だ。特有のブッシュの道から、サバンナっぽい道へ、そして木のない地帯、断崖の海など。道自体に飽きることはなかったが、ナラボーは長いとやはり感じる。こまめにガソリンスタンドがあることがこの道を長く感じさせるのだろうか。つまり先へ先へと進むことが出来るから。いままでは、先へ進むと中途半端な所に泊まらなければならなかったから、急ぐ必要もなかったし、急ぎたいとも思わなかった。しかしナラボーだけは早く抜けたいと感じながら走っていた。それは、俺がエアーズロックへ早く到着したかっただけかも知れないが。

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ナラボー

1995年02月07日

パース→ドーニーブローク(12月4日〜2月17日)

<朝7時の出会い>

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話題を呼んだ謎の女性

俺はキャンプ生活の名残で、朝の6時30分には起きていた。飯を食い、シャワーをあびると朝7時。この朝7時にシャワールームでここ何日も一人の女性といつもすれちがっていた。当然、あいさつが俺の日課となる。ちなみにワカメちゃんも毎日7時ごろ彼女を見ているらしい。朝7時の謎の女性、正体はこの宿でバイトをしているだけだったのだが、夕方彼女に会った時、話しかけてみた。「名前は?どこから来たの?」など簡単な事から徐々に聞いていく。よくツーリングの先々で皆がやることだ。ただ違うのは、相手が外国人女性ということで、少し勇気がいるということ。彼女は日本人の男性に話しかけられたのは初めてだと言っていた。彼女が日本人であったらすぐに日本人の男がよって来るようなカワイさだったが、やはり言葉の壁が邪魔をしているようだ。俺は言葉はたいした問題じゃない、最初の勇気だけだと思うのだが。まあそんなキッカケでたまに話しをするようになっていった。

 

<小排気量車の欠点>

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KMANさん

旅立つワカメちゃんはクリスマスを待たずにパースを出るらしい。CTが遅くて、ビザがあるうちに一周出来ないので仕方なく出発するそうだ。こうなると小さいバイクも考え物だ。小排気量バイクで一周に羨ましさはあったが、俺は長くいたい所では長く滞在したい。とにかく彼は出発するのだ。もう彼とはオーストラリアで会わないだろう。豪勢な晩飯を作り、お別 れパーティーをした。翌朝、彼の旅の成功と日本での再会を願いながら、彼の旅立ちを見送る。

 

<パーティー三昧>

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パースの楽しい日々

ワカメちゃんが去った後、俺は朝7時の女性のラトナーに誘われ、パーティー等のイベントに参加したのをキッカケに宿に宿泊している外人達と親しくなっていく。学生の頃にもどったかのような飲みっぷりと、酔った勢いで、得意のデマカセ英語を使いまくる。彼らも楽しく一緒に過ごせるやつは日本人だろうがなんだろうが関係ない。この宿にきてから、2週間後には俺は知らない人のパーティーにまで誘われるようになっていた。そこでの話しだが、ドイツ人の人に、「こういうパーティーに日本人が来ているのを初めてみた。日本人は外人と会話をしたがらない。おまえらは日本人どうしで固まりすぎだ。」と言っていた。俺はもちろん反論したが、そうなのだ、彼らからはそういうふうに見えるのだ。俺達の立場から見ると、英語がはなせず中に入って行けないだけなのに。ヨーロッパ系の人もいい加減な英語を使う、正確な英語でなくてもいいから、ノリのいい英語を使う事が、友達を作る秘訣だ。何度もいうが、言葉はたいした問題じゃない。クリスマスを宿の仲間と過ごし、新年もパーッとビーチで騒いだ。毎日がパーティーで、楽しかったし俺の英語も飛躍的に伸びた。しかしそのお陰で、お金がヤバイ状況になってきていた。『働くしかない!』俺はどこで働くか検討中していた。そんな時に友達のオーストラリア人も金がなくなり、農場へ働きにいくという。お金をてっとりばやく稼ぐのに、農場は都合がいい。俺も彼についていき、一緒に仕事を探すことにした。

ついにこの宿を去る時がきた。宿に宿泊しているほとんどの人ともう知り合いになっていた。飲みにいったり、スポーツしたり、いろいろな想い出があった。少し寂しいが、お金が無いのだから仕方ない。特に親しかったラトナー、ウッディーとジャスティンに再会の約束をし、新たなる滞在地ドーニーブロークへ向けて旅立った。

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パースの街

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宿の12:01

 

<働く>

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イリゲーションの仕事を始めた

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果樹園での愛車

パースからドーニーブロークまでは200km程しかない。アッと言う間に町へついた。宿をすんなりと決め、部屋はパースからの道連れ、ハスとウェインと同じ部屋になった。ちなみに部屋は6人部屋だった。6人部屋を3人で使えるのは気持ちいい、それにパースの宿よりもここの方が清潔でいい感じだ。

翌日からハスの車で仕事探しを始めた。何件かの農場を回り、ハスは一つ仕事を打診したらしい。それはトラクターに乗る仕事だった。あと二人分の仕事を得なければならないが、なかなかない。結局この日は一つの仕事しか得ることができなかった。その翌日もまた農場を回る。ない。今は収穫のシーズンじゃないので、あまり仕事がないのだ。数日後ハスは仕事に就き、ウェインも仕事を得た。焦る。毎日毎日バイクで農場回りだ。オーストラリアでは何度も足を運ぶと仕事が貰えるらしい。俺も一週間後には何件か仕事を得られそうな所を見つけたが、最終的にはハスの紹介で同じ農場で働くことに決めた。自分で探した所より給料が良かったからだ。

 

<パースへの小旅行>

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沖縄旅行からの友人トシと再会

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ラトナーとお別れ

約1か月半もの間俺はここで働くことになる。俺の仕事はイリゲーションといって、スプリンクラーの移動と設置だ。仕事の事は思い出したくないのでさておき、この間に俺はパースへ行く用事が出来て、休みを利用してパースへ行く。事情があって俺の仲間は宿を移っていたが、再会でき、話し込む。その時日本人に「外人と話しているから日本人じゃないと思いましたよ。」といわれた。なんだかむしょうに寂しさが込み上げて来たが、とにかく知った仲間と飲みに行く。信じられないがほとんどの人がまだパースにいたのだ。それに、どうやら今日はたまたまラトナーの誕生日だったらしい。彼女に「タカ、プレゼントは?」と言われたが、プレゼントなんて無かったので、歌を歌った。すごく恥ずかしかったが、また一日パースでのいい想い出が残った。

 

<男性と女性>

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月〜土まで12〜14時間働く

ドーニーに戻り、また辛い日々が続く。俺はオージーとペアを組んで仕事をしていたが、相棒がやな奴なのだ。『思いだしたくもない!』そんな俺の楽しみは仕事後の宿でのだんらんだった。

空いているベッドに女性が来た。彼女達はイギリス人2人とオランダ人1人で、トランプしたり、仕事のグチをいいあったりと、いい友達になっていった。ところで彼女達も日本人男性と話すのは初めてだったそうだ。よく日本人男性は人気がなく日本人女性は人気があると言われているが、日本人男性は人気がないなんて大ウソだ。確かに日本人男性が外国人女性と仲良くなるということは少ないのだが、また日本人女性は人気があるといわれるが、外人男性がただ声をかけるからということらしい。別に彼女ら外人女性も、日本人を嫌っているわけではない。いやむしろ、日本に対して興味を持っている人が多いくらいだ。日本国内でも、女性から男性に声をかけることは少ない。国外でも同じことで、男性が女性に声をかけなければならないのだ。これに気がついてからは男性女性の区別 なく友人が出来はじめた。

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