バイクでケープヨーク・アドベンチャー【オーストラリア一周ツーリング その3】
オーストラリア一周ツーリング・ケアンズ→ケープヨーク(10月4日〜10月17日)
初めての海外ツーリング。XLV750で乾いた大地を走った24000kmの旅。(1994.6-1995.4)【その1】
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誰もが口を揃えておすすめする、オーストラリアNO.1の道
ここまで来る途中に話しをしたライダーみんながケープヨークに行くべきだと言うのだ。
「そこはたいへん美しくオーストラリアが凝縮されている。」「そこがオーストラリアNo.1の道だ。」と口を揃えて言う。
九州に行ったら、沖縄がいいぞ!と言われるような物かもしれない。
とにかく何がNo.1なのかよくわからないのだが、ケープヨークは元々行ってみたかったのだから、行かない理由はない。
何がNo.1か確かめてやろうじゃないか。
情報と仲間を求めての安宿への宿泊
タウンズビルの町で会った飲んだくれスコットランド人ライダーのケビンに案内され、とあるバックパッカーズに泊まっていた。
そこは日本人のライダーが大勢宿泊している安宿で、あまり好みの宿ではなかったが、ここに泊まったのは理由があった。
そのケープヨークへの道は、砂あり、川あり、地割れありのケアンズから約1000kmの道。
もちろんその間に町らしい町はないし、バイクの墓場でもあるらしい。
そんなところへ750ccのバイクで一人で行くのはどう考えても危険であると感じた。
実際に、DR800でケープヨークへ行ったドイツ人ライダーは、砂でスタックして一人では脱出できなかったそうだ。
だから俺はケープへの道を一緒に行く仲間を探すことにし、情報や仲間を探しやすそうなこの宿を選んだのだ。
一緒にケープヨークへ行く仲間達
ケープヨークの行程を共にする仲間はすぐにみつかった。
1人はKさん、もう一人はT君。それぞれXT250、XT600に乗っていた。
俺のバイクが一番重いので、オフロード走行では一番気を使いそうだ。
あまりにでかすぎてクソ重い。舗装路なら圧倒的だろうが。
3人で考えたルートは、まずは海岸ぞいをクックタウンまで北上。
そこからレイクフィールドナショナルパークの中を通 り、メインのルートに出る。
そこからはもう道は一本しかないので真っ直ぐ進む。最北端のトップまで3日の行程だ。
転倒しまくるT君
いよいよケープヨークへの旅が始まった。
海岸沿いのダートロードはアップダウンが激しい!日本の林道のような勾配がある上、路面は砂だらけなのだ。
急な下りでは、ブレーキをかけても砂で滑って、勾配が緩くなるところまで滑り落ちていくような所もあった。
ヒヤヒヤしながら慎重に走っていると、T君がこけた!
その時の俺のバイクのスピードは5kmだったが、T君を避けるためにブレーキを少しかけた瞬間にタイヤはロック!
そのまま道を落ちていく。
突しそうになりながらもなんとか態勢を立て直し、坂の途中じゃ止まれないので、坂を下りてからバイクを停めて助けに行った。
ダート初心者のT君は、ここまでの間にも彼は何度か転倒していて、道路の砂で全身真っ赤になっている。
T君の事も心配だが、こんな感じでトップへ行けるのだろうか?そんな考えも頭の中をよぎる。
この日の走行はクックタウンまで。あまりの道のひどさで距離があまりのびなかった。
T君のバイクのアンコ抜きをする
クックタウンでT君のバイクを改造することにした。
ダートロートでは重いバイクはただでさえ扱いづらいのに、彼は片足ツンツン状態で乗っている。
何度も転倒しているとケープヨークの先端に辿り着けない可能性が増えるので、対応策としてシートのアンコ抜きをすることにしたのだ。
手持ちの道具でやったので見た目は悪いが、両足がつくようにり安心感がました感じになった。
これで彼の転倒が減ったらいいのだが。
絶不調に陥ったT君のXT600
3人は意気揚々と出発した。クックタウンからラウラまでの道は、アップダウンは無いものの、ダストホールと呼ばれる、
路面の穴に砂がたまっている穴が時々出てくる道路が続いた。
堅い路面を80km以上のスピードで走っていて、いきなり砂で隠れていて見えない穴が突然出現する。
正直たっまたものではない。砂で何度もハンドルをとられながら冷や汗をかきながら進んだ。
そんな道を走っていると、前を走っているT君のバイクが突然止まった。
彼のXT600は何度も転倒を繰り返す内に調子が最悪になっていたのだ。
何度キックをしてもエンジンがかからない。彼のバイクをチェックすると、オイルが少ない。
エアクリーナーのボックスに大きな穴があいていて、エアクリーナーエレメントは砂で真っ赤だった。
オイルの補充とエアクリーナーエレメントの清掃でエンジンはなんとかかかったが、XT600は煙を噴きまくる始末。
これ、根本的にエンジンを開けないとダメじゃないのかな?
フライングドクターで搬送
なんとか走りはじめられても、何度も何度もT君のバイクのエンジンがとまる。
彼のバイクは、2ストロークバイクのようにいつも白い煙りを吐きながら走るようになっていた。
エンジンが止まる頻度も上がってきている。
もうT君のXT600はこれ以上無理だろう・・・。
正直な所では、内心はウンザリもしていた。口にはだしていないが、おそらくKさんも・・・。
もちろんT君の前では、おれもKさんも平静を装っていたし、はげましていた。
T君の気持ちや立場もすごくよくわかったので、ぜんぜん気にしていないからというスタンスだった。
おそらく本人が一番これ以上は難しいのは分かっている。
T君が、ラウラの町で諦めると自分から言いだしたとき、彼の悔しさや無力さ、やりきれなさが痛いほど伝わってきて辛かった。
この後の顛末はあまり詳しくは書かないが、T君はこの後、骨折。
ラウラの町からフライングドクターの飛行機でケアンズへ戻った。
彼が離脱してしまった日、おれもKさんもあまり彼のことには触れずに、少し苦い紅茶を飲んでシュラフにくるまった。
<トラブル>
ラウラの町でT君への手紙を書いた後、2人で最北の地ティップ オブ ケープヨークへと出発した。
ラウラからはメインロードに入りペースがかなり上がりはじめる。
コルゲーションという洗濯板状のダートではあるものの、道がいいのだ!
「最初からこっちの道に来ていたら、T君もい行けたかもな。」とKさんが言う。
行けたかもしれないが、もっと人が居ないところで何かが起こったかもしれない。
そればかりはなんとも言えない。
あの時ああしておいたら…というのは無意味なことだが、ついついT君の話しになってしまう。
時々彼のことが頭をよぎるのだ。
大きくなっていく蟻塚
日本ではまず見れないアリ塚を見てとにかく感動した。これは絶対に日本では見れない風景!
いくつもある蟻塚は、まるでお墓のように感じた。
先へ進むと、そのアリ塚はどんどん大きくなっていく。
自分の身長を大きく上回る蟻塚まで見れるようになった。
このくらいの蟻塚になるまでにいったいどの位の時間がかかるんだろう?
マフラーステーが折れ、マフラーがグラグラに
アーチャリバーという町から先、約350kmガソリンスタンドは無い。
ガソリンを十分に補給して、バイクの各部をチェックすると、マフラーのステーが両側とも折れていた。
その片側はここまでくる途中に気がついて、ハリガネで応急処置はしておいたのだが、そっちも再び折れた。
マフラーの先端がグラグラのままダートを走るわけにいかない。
とにかく激しいダート走行に負けない処置の仕方を考えなければ、また同じようにグラグラになってしまう。
持っているハリガネでは細すぎたので、ガソリンスタンドのおやじに太いハリガネがないか聞いてみるが、無い。
アイデアを絞りだして処置をするしかない。
細い針金を何度も巻いて、太い針金状にして半円のステーを作り、それをツーリングネットのゴムで上から引っ張るようにして止めた。
直接針金で巻いてしまっても、擦れと振動でそこから折れてしまうので、ゴムでショックを吸収するのだ。
なにもないところでは、アイデアでなんとかするしかない。
川の畔でキャンプ
途中の町でキャンプをする計画だったが、道中いろいろあって予定が大幅に遅れ、到着まで1日遅れてしまうことになった。
ケープヨークの最北端にはどちらにしろ辿り着けないので、川の畔で野営することにした。
俺のテントはドーム型だが、Kさんのテントはツェルトなのでとてもワイルドな人に感じる。
行きはガンショットのあるOLDロードを走った
アーチャリバーの先でトップへの道は二手に分かれる。OLDロードとNEWロード。
OLDは道も細く川渡りもあり、もちろん道自体も悪い。
俺達は行きにOLD、帰りにNEWを通る事にした。どうせなら両方通ってみたいからだ。
OLDロードの砂にタイヤをとられてケープヨークでの初転倒。
フレーザーで砂道を練習したとはいえ、やっぱりバイクが重すぎる。
自分で選んだバイクなのに、軽いバイクにしときゃ良かった後悔しはじめた。
バイクは重いし道は砂、転ぶと荷物を下ろさないと引き起こせない。
その上、Kさんは気づかずにどんどん先にいってしまう。
エンデューロレースでもやっているかのような道なので、この後数回転倒したが、カズさんは一度も気づいてくれなかった。
「1人で来ても同じじゃないか!」とブツブツ小言を言いながら200kg以上あるバイクを引き起こす。
OLDロードの名物といえば、崖状の短い坂があるガンショットとよばれる難所。
バイクなので、比較的緩い坂を下ったが、車であったらウインチは必須だ。
車でこの難所を抜けるには、もう一つ手段がある。
対向車がやってみせたのだが、川を走って迂回すること。
乾期でまだ川に水が少ない時期でも、ギリギリな感じだった。
車で悪路に慣れていないなら、NEWロードを通る方が無難だ。
ケープヨークの川渡り
ケープヨークは川渡りが何度もあるのが有名だ。
水量の少ない乾期の時期なら、比較的容易に渡ることが出来るが、雨が降ったりして水量があると、かなり慎重に道を選ぶ必要がある。
バイクを壊すわけにいかないので、水量の少ない時期でも、まず川の手前にバイクを停めて、歩いて川を渡る。
水深や水の中の状態をチェックするのだ。
安全に川を渡るために、毎回、川渡りの時は足を濡らしながらこの作業をする。
最北の地、ティップ オブ ザ ケープヨークへ
トップにあるセイシアの町のキャラバンパークに泊まっていた。
到着した翌日、いよいよ最北端のTIP OF THE CAPE YORKへ行ったのだ。
セイシアの町から約30km、オーストラリアの広さからすれば、ちょっとそこまで行って来るという感じでだ。
Kさんと連れ添い、バイクを走らせる。
そしてバイクを止め、岩の道を歩く。2人の胸は高鳴り、会話がはずむ。
そして最北端へたどり着いた。なんともいえなくキレイだ。
天気も曇り、景色だって後で考えてみればたいしたことはないのかも知れない。
でもその時は、海の流れの早さ、岩の上に座っている自分、遠くに見える島やビーチ。
そして、人の気配を感じることのできない静寂さ、そして波の音、すべてに感動した。
2人とも何も喋らいまま、1時間…2時間…と時間が過ぎていった。
さっきまであんなにはずんでいた会話がまったくない。
ただただ自分のなかで感動していた。T君も交えて3人で乾杯したかった。
セイシアでの釣り
セイシアのキャンプ場の前には、ビーチがある。
とても暑いところなので、ビーチでひと泳ぎしたいところなのだが、ここにはサメとワニがいるので相当の覚悟がないと泳ぐことは出来ない。
ワニが海にもいるということを始めて知った。
一時の快感を求めて彼等の餌食になるのはイヤだったので、ビールでも飲んでガマンすることにする。
そのかわりセイシアでは泳ぐことが出来ないかわりに非常に面白いことができるのだ。
サメやワニで泳げないビーチからは、桟橋が突き出ている。その桟橋からのつりがとにかく最高!
丈夫な糸と針さえあれば、60cmもある魚が釣れる。
まず針を桟橋の下にいる小魚の群れにめがけてたらしてみる。
そこでクイッとやると20cmほどの魚を引っかける。
日本だったらこれでもう大満足だが、それを沖へ投げてみる。
グググッという手応えとともに60cmほどの魚が…。信じられない、入れ食いである!
何人もアボリジニの釣人がいるが、釣りすぎないようにしているのか必要な分を釣ったら帰ってしまうみたいであった。
持っていた糸がちょっと細くて、切られてばかりで2匹しか釣れなかったが、60cmあれば十分なボリューム!
夕食はもちろん魚だ。
ケアンズへ戻る
ここまで来ておいてケアンズまで同じ道を帰るのを考えたくなかった。
考えると憂欝だった。と同時に街へ早く戻りたいと思いもあった。
街で生活しているとむしょうに自然の中に行きたいと思い、圧倒的な自然のなかにいると街が恋しくなる。
セイシアの町を出発して、ケアンズの街へ向かってケープヨークのダートロードを南下する。
帰り道は予定通りにNEWロードを通っていった。
NEWロードは道は平坦だが、砂が深い区間があって、思ったよりも苦しかった。
車ならこちらの道が断然ラクだろうが。
かなり走り慣れていたし、一度通った道ということで、順調にケアンズまで走ることが出来た。
帰りのトラブルといえば、振動でナンバーに穴があいて、落ちかけたことぐらいだ。
トップからケアンズまでは3日かかるが、セイシアから約700kmで舗装路になった。
行きに折れてしまったマフラーステーは、応急処置でケアンズまでなんとかもった。
もう大丈夫だとホッとする。
宿の前のハンバーガー屋やパブなどが脳裏に浮かんでくる。T君はどうしているだろうか。
ケアンズに無事に到着
PM2時30分、ウールワースというスーパーでT君へのお見舞いを買って、無事にバックパッカーズホステルへ到着した。
当然2人の顔がほころび、喜びをわかちあう。やったぜ。
そんな俺達を宿にいたT君は笑顔でおめでとうといってくれた。
彼はもちろん悔しかったのだろうが、それを微塵も感じさせない明るさで俺達を向かえてくれた。
彼はまたいつの日かケープに挑戦するそうだ。
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