卒業旅行!九州・沖縄へのバイクツーリング <24日間>
1990年3月5日-28日 24日間
九州から沖縄へ。バイクで走る卒業旅行。
専門学校の卒業の時がきた。休みとあればオートバイでのツーリングに明け暮れる生活を続けてきたが、まだまだオートバイでの旅をしていたい。学校の友達はみんなで海外へ卒業旅行へいくとか言っていたし、「一緒に行かない?」なんて誘われたりもしたのだけれど、一人でのオートバイでの旅にこだわってしまった。
今度の目的地は九州。90年の四国・九州ツーリングで九州上陸は果たしたものの、あまり走ることができずに不完全燃焼していたからだ。学校の卒業試験の発表も卒業式にも出ることもなく、旅に時間を割きたくて、学校が終わった翌日に日向行きのフェリーに乗り込み川崎を出発した。
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九州・沖縄ツーリングのルート
横浜→(フェリー)→日向→佐多岬→鹿児島→指宿→鹿児島→(フェリー)→那覇→残派岬→那覇→(フェリー)→石垣島→西表島→波照間島→石垣島→那覇→辺戸岬→那覇→(フェリー)→鹿児島→島原→高千穂峡→阿蘇→別府→佐賀関→三崎→瀬戸大橋→京都→横浜
桜島のある鹿児島へ。そして沖縄行きを決意
日向-佐多岬-長崎鼻-知覧-鹿児島
フェリーで日向に到着し、青島や日南海岸を南下しながら本州最南端を目指した。日南海岸は僕の両親が結婚したころは新婚旅行のメッカだったらしい。今でいえばハワイみたいな所だったようだ。僕の親の時代は、1ドル360円だったはずだから、海外へ行くのは大変だったのだろう。
佐多岬では、本州最南端に来たという感慨がすごく、ご多分にもれず記念写真をメインに撮った。
鹿児島へ向かう途中は溶岩や火山灰があるなんとも不思議な光景だった。
それから向かったのは、九州唯一だったライダーハウス。ライダーハウスははじめてだったが、バイクで旅する人たちと話せて楽しかった。
そこで出会ったライダーの中に沖縄へツーリングに行っていた人がいたんだけれど、彼の話を聞くにつれ、僕の中で沖縄への気持ちがどんどん大きくなっていった。
悩んでいて時間がなくなるのが一番悔しいので、鹿児島から沖縄へ渡ることに決めた。すぐにでも船に乗りたかったが、タイミングが合わなかったので、フェリーが出るまで九州の左下(南西部)を回ることに決めた。
指宿の砂風呂、長崎鼻、池田湖の大ウナギを見てまわった。池田湖の大ウナギはウナギにはみえないくらい大きいものだった。これがイッシーではないかとの噂もあるそうだ。
知覧の特攻博物館には、戦争の特攻の若者達が書き残した遺書がたくさんあって、お国の為と強がっているものの、最後はお母さん死にたくないというものたくさんあった。当時の若者の心境が語られている遺書を見ると、戦争とは残酷なものだったのが良く分かった。
またそこにはその遺書について語る名物オヤジがいて、見学に来た僕たちを泣かせてくれた。涙がとまらくなるほどだった。
沖縄・残波岬などを回る。そして離島行きを決意。
鹿児島-那覇-残派岬-那覇
那覇にフェリーで到着し、まずは那覇の宿に宿泊した。そこで出会った旅人は、みな「離島は良かった」と口にしていた。そんな話しを聞いていると当然離島にも行きたくなるもので、船の時間まで沖縄本島を回り、離島へと旅立つことに決定。
景色が綺麗そうな残波岬方面へとバイクを走らせた。海外の雰囲気そのままのコバルトブルーの海はとても良かった。交通手段が自動車しかなく、道路が非常に混雑しているのが、たまらなく嫌だったが。
米軍の嘉手納基地がある所では、飛行機が道路の上を何度も低空で横切っていた。僕の家から行ける厚木なんかとは比較にならないほど発着回数が多くてビックリした。
飛行機を見るのは好きだし楽しいけれど、特攻の若者が無駄な死を遂げた後に、相手国だったアメリカが大手を振るって発着を繰り返しているところは少し複雑な気持ちだった。
それでも飛行場の近くの道をNINJAで走っていると、トップガンという映画のトムクルーズにでもなったような気持ち良さで、日本では味わえない開放感のようなものを感じた。
のんびりした雰囲気の石垣島を回る
石垣島
わざわざ離島まで来て良かったと本当に思った。沖縄本島は人がたくさん住んでいるから、離島に比べるとやっぱりゴミゴミしているし、名所のようなところはすっかり観光地だった。
しかし、離島はなんとものんびりしていて、空気が非常に心地よく感じた。人の雰囲気もなんともおおらかな印象だった。石垣島にモスバーガーがあって驚いたが。
川平湾などの定番スポットももちろん良かったが、砂利道が走る牛久保崎の牧場がとてもよかった。
まるで別世界。マングローブ茂る西表島
西表島
ジャングルが生い茂り、マングローブ(ヒルギ)の木がニョキニョキとたっている。ここは本当に日本なんだろうか?完全に世界の違うところまで来てしまった感じだった。
木々などの植生も別世界のものだったが、ヘルメットをかぶらずに原付に乗っている観光客も多く、日本ではない所へ来たような印象になった。聞いてみると、レンタバイクのおばさんは「ヘルメットなんていらないよ、駐在さんは知り合いだから。」と言っていたそうだ。
実際オマワリサンはこの島に一人しかいないそうだし、信号のある交差点も島の中に一つだけ。おおらかになるのは必然なのだろう。
西表島は、ジャングル探検やダイビングが人気だった。というか、それくらいしかやることがない自然だらけの島だった。この素晴らしい自然を是非これからも残していってほしいと思った。
日本最南端!何もないけれど最高の波照間島
波照間島
ライダーの好きな場所のひとつに「はじっこ」がある。僕もご多分にもれず、最北端や岬の先端などの「はじっこ」は大好物だ。
波照間島は人が住んでいる島では日本最南端。はじっこである。行った人に聞くと、何もないといっていたが、行ってみなければ気が収まらない場所だった。
実際行ってみると、最南端の碑があるところまでは、港から電線をたどっていけば行けるくらいに何もないところ。記念碑以外の観光の名所的な所はなく、サトウキビの畑と、サトウキビを加工している工場があるくらいだった。
その分、観光客はとても少ない島だったので、島に住む人々の生活がいろいろ見えたような気がした。
石垣島に戻りボーッと過ごす
石垣島
八重山の離島は石垣島を中心に船が出ている。そのため、起点となる石垣島へ戻ってきた。観光らしいことはすでにしていたので、何をするわけでもなくゴハンを食べにいったり砂浜に行ったりしていた。
沖縄の離島での3月という季節は、晴れると暑く、曇ると寒かった。すでに海開きもしているので、晴れれば海にはいれる。しかし、残念ながら曇りの日ばかりで寒く、海へ入るのは難しかった。
与那国島にも行きたいが、そろそろ島を離れることにした。バイクで走りたいのだ。離島にバイクはあまり必要なく、このままではバイクで来た意味がない・・。与那国島との天秤にかけ、沖縄行きの船に乗った。
沖縄最北端へ。沖縄北部をツーリング
那覇-辺戸岬-那覇
那覇に到着してすぐに九州へ戻るフェリーを確認し、少し沖縄本島を回ることにした。目的地はライダーらしく沖縄最北端。離島ではバイクにほとんど乗っていなかったのでバイクに乗るのが楽しかった。
沖縄でバイクを走らせるには少しばかり注意しなければならないことがあった。道路がよく滑るのだ。交差点でアクセルを不用意に開けようモノなら、すぐに後ろタイヤは滑り始める。これは沖縄の道路のアスファルトが暑さで溶けないように、マゼモノをしているかららしい。
那覇の人達が標準語に近い言葉を話してくれていたが、街から離れ北へいくほど方言で人々の言葉がわからなくなっていった。おじいさんとの会話は外国語を聞いているようだった。
那覇では観光地も巡りも楽しかったが、飲みにいくことも楽しかった。特に沖縄郷土料理の山羊を食べさせてくれるお店が印象に残っている。山羊ももちろん美味しかったのだが、頼んだもの以外に「サービスよ」と次から次ぎへと出てくる品々。ありえないようなサービスにみな大満足だった。
走るのが最高に気持ちいい阿蘇を快走
鹿児島-島原-阿蘇
沖縄で出会ったTと、長崎あたりまで大雨の中を淡々と走った。そして、そこからバイクで気持ちよく走れる道の阿蘇へ!
ミルクロードの気持ちよさといったらなかった。
また、カルデラの風景もすごかった。阿蘇はバイクで走るには最高だ。
その後、高千穂峡へ行ってボートにも乗ったが、バイクで走っているほうが気持ち良かったからか、あまり記憶に残っていない。
そして、昨年来て感動したヤマナミハイウェイへ。雄大な景色を見ながら走った。
時間切れになり、淡々と家まで走る
阿蘇-四国-京都-横浜
阿蘇をすぎたあたりから、急に帰らなければいけない日を意識するようになった。いっぱい沖縄で楽しんだが、最後の最後は時間切れで淡々と家まで走って帰った。
まずは四国へ渡り、定福寺ユースホステルに寄ってから、瀬戸大橋を渡った。
途中、京都で一泊したので、せっかくなので金閣寺を見に行った。そこからは家まで高速で一直線だ。
学生最後の旅を終えて
学生最後のこの春休みがバイクで走る長期の旅の最後になると思っていた。そのため海外旅行ではなく、バイクツーリングで日本を回ることを選んだが、貴重な経験もできて本当に良い旅になった。
初めまして、こんにちは そろそろ還暦ライダーです
1993年平成5年春に沖縄本島をレンタバイクでツーリング
未だモノレールが無い頃でしたので、空港から市内連絡バスで旭橋のバスターミナルへ出てから、大通りのホンダ販売店でCB400SFを借りたのを思い出します、
履き物だけは持参で、ヘルメットなど安全装備は付帯サービス、8時間で15450円と写真裏にメモ書きしてありました
国道58号線を使い恩納村、名護市経由で国頭街道で辺戸岬までの旅でしたが、おっしゃる通りに道路が滑り易くて難儀したのを思い出しましたよ、
当時のGPZ1000RX(白金)写真を懐かしく眺めておりました
僕も思い出の1ページです
ありがとうございました。
はじめまして!
GPZ1000RX、クセは強かったですが、乗っていて気持ちいいバイクでしたね。
もうハンドルの切れ込みが怖くて扱えないかもですが、また乗ってみたいなぁとたまに思います。
当時はバイクツーリング人口も多く、色々な人に話を聞きながらの旅が楽しい時代でしたね。
ツーリングマップルの地図だけで宿を探さないといけない時代でした笑
沖縄の路面は、濡れた所に乗った時は本当にやばかった気が・・・。
またあっちの方は行ってみたいんですけど、同じく私もだいぶ歳を重ねてきたので、
なかなかフラッと長期には出かけられなくなりました・・・。
まぁでお互安全に気を付けて、無理のない範囲い範囲で楽しみましょうね!