デスバレーは、まさに「死の谷」【旅の記憶】
October,1998 Honda XR100
すでに時期は秋。霜がおりはじめて寒くなってきた標高が高い地域から、標高の低い地域に移動しながら、西海岸を目指して走っていました。
その途中にあったのが、デスバレー。もっとも低いところが海抜マイナス86mで、夏の気温は50度を超えるらしく、最高気温56.7度を記録したこともある死の谷です。
death Valleyという名前から、なんとなく断崖の間にある谷をイメージしてしまうのですが、地形は広大な盆地です。(Valleyは盆地という意味もあるようです)
その盆地へと続く道を降りていくと、どんどん気温が上昇していきます。すでに11月に近い時期でしたが、暑さでライディングジャケットは荷物にくくりつけ、シャツ1枚で走っていました。もちろん、観光客はみな半袖短パンです。
11月間近で真夏の暑さ。真夏は暑すぎて、年間何人も亡くなっているほどで、熱中症にすぐなってしまったり、本当に体が危ないらしい場所。
エアコンもないゴールドラッシュの時代、そんな広大な盆地へ迷い込み、暑さと飢餓と水不足に苦しみながら、何日も何日も歩き続けなければならなかったら・・・想像しただけでも恐ろしい。
デスバレーに取り残され、生き残った人が脱出時に「グッバイ・デスバレー」と言ったらしいのですが、いろいろな思いがこみ上げてきたことでしょうね。
そんな話しを聞いたら、ここはやっぱり「死の盆地」ではなく「死の谷」という呼び方の方がぴったりくるな、と感じました。
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