あなたは頂上へたどり着ける?秩父御嶽神社の凶悪階段
予備知識もないままにフラッと立ち寄った「秩父御岳神社・東郷公園」、この境内がヤバかった!とにかく高低差がヤバい!階段がヤバイ!どこまでも続く急な階段が、何度も目の前に立ちはだかるのです!
途中から写真を撮る気力もなくなってしまうほどヘトヘトになった「秩父御岳神社・東郷公園」への参拝の様子をお伝えしたいと思います!
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東郷元帥像をみてみよう、がきっかけで立ち寄る
飯能の天覧山、竹寺、子ノ権現を見学し、まだ時間があったので面白そうな所はないか検索。「秩父御岳神社・東郷公園」には東郷元帥像があることが分かり、軽い気持ちで寄ってみることにしました。
下調べほとんどせずにフラッと立ち寄ったので、公園に東郷元帥像がポツッとあるのかと思っていましたが、まさかまさかの山自体が神社になっていました。
坂や階段を上ってもなかなか出てこない東郷元帥像。そして心が折れるほどどこまでも続く参道。サクッと写真撮って帰るつもりだったので、本当にマイリマシタ・・・。
入り口を入った所にある「里宮遥拝殿館」
鳥居をくぐってすぐ左手にある里宮遥拝殿にまず寄りました。里宮遥拝殿は鳥居をくぐって最初に見かける神社らしい建物です。(入口は後で撮ればいいやと思ってましたが、疲れ切って撮り忘れ)
神社入口近くにあるため、山を登ることが難しい高齢者の方が参拝・祈願するための拝殿のようです。こちらの里宮遥拝殿の前では車のお祓いもできるようでした。
奥へと続く参道
参道が奥へと続いています。何も知らないまま来たので、あのカーブをすぎて少し行ったあたりに東郷元帥像があると思っていたのですが、はじまりの場所に過ぎませんでした・・。のどかな雰囲気の先に、あんなに厳しい道が待っているなんて・・。
秩父御嶽神社を創建した「鴨下清八の像」
のどかな坂を歩いて行くと、出てきたのは東郷元帥像ではなく鴨下清八像でした。鴨下清八って誰?って思いましたが、1894年(明治27年)に秩父御嶽神社を創建した人物でした。
少し鴨下清八のことを紹介すると、薬や医術が効かなかった母のために神を頼って御嶽教信者となって修行し、母の病気が回復したので神徳をさらに深く信じるようになったそうです。
全てはこの階段から「はじまりの階段」
鴨下清八像の所から階段が山の上へと続いていました。上から下りてきた人達はかなり疲れている様子でしたが、「この程度の階段なら全然楽勝!」と思いながら上り始めました。だって普通の感覚だと、この階段の上に本殿や東郷元帥像があると思いますよね?
「乃木将軍像」を見に行く
先ほどの階段の途中に乃木将軍像への看板がありました。見学のため階段の途中から乃木将軍像方面へと向かいました。階段から乃木将軍像へはすぐにたどり着きました。
乃木将軍とは、日清・日露戦争で活躍した乃木希典(のぎまれすけ)で、明治時代の代表的な軍人です。軍人の後は学習院院長として教育などにも貢献しました。東京の「乃木坂」の名前もこの方が由来なんですよ。
日露戦争時代の「砲弾」と「水雷」が狛犬代わり?
東郷公園(秩父御岳神社)を先に進んでいくと、「水雷」と「砲雷」がありました。この砲雷はバルチック艦隊主砲々弾、水雷は旅順港口に浮設されたものです。
まるで狛犬のように神社の一部となっている「水雷」と「砲雷」。この神社の特殊性を感じますね。このあたりまで来ると東郷公園と名付けられた理由がだんだんと分かってきました。
山の途中にあった手水舎
神社入口のあたりにあったのか覚えていませんが、東郷元帥像の手前には手水舎がありました。ここからが参拝の本番ということでしょうか・・・。
和な建物(廃墟)
東郷元帥像はもう見えているのですが、まず右側にあった建物を見に行きました。食事でも提供していた所でしょうか?(分かりません)
中には入れませんが和な廃墟がまたいい雰囲気でした。
「東郷元帥像」日露戦争で大戦果をあげた東郷平八郎の銅像
さて元にもどって東郷元帥像へと進みます。東郷平八郎の人柄や精神に感銘をうけた鴨下清八(秩父御嶽神社を創建した人物)が、何度も頼み込み許可を受けたそうです。
東郷平八郎自身が許可した銅像は世界的にもここだけで、東郷元帥像が建てられた後に東郷公園と呼ばれるようになりました。
東郷平八郎は日清・日露戦争時代に活躍した軍人です。日露戦争では戦艦三笠に司令官として乗艦していました。東郷ターンという敵前での大回頭で、当時世界最強と言われていたロシアバルチック艦隊に勝利したことでも知られています。
戦艦三笠の「被弾甲板」
砲弾や水雷も東郷元帥にまつわるものでしたが、戦艦三笠の被弾甲板も展示されていました。ロシアのバルチック艦隊と戦った際に、戦艦三笠が集中砲火を浴びた時の甲板です。その激戦の様子が伝わってきますね。
別のブログですが、戦艦三笠について以前書いた記事が有りますので興味があればこちらも是非ご覧ください。
東郷元帥が休憩した「至誠館」
東郷元帥像があるところまで上ってきましたが、上にはまだ何かありそうです。ペンションのような建物が気になりました。
神社らしくないのでてっきり民家かと思いましたが、「至誠館」と呼ばれる秩父御嶽神社・東郷公園の建物でした。東郷元帥が来山した際に休憩していたようです。
命中率の高かったロシア製3インチ野砲
至誠館はすでに廃墟のような雰囲気ですが、1階部分にロシア製3インチ野砲が納められていました。当時の日本製は撃った後に砲車が後退していたのですが、ロシア製は砲身が後退して衝撃を吸収するため命中率が高く日本はかなり苦しめられたそうです。
東郷平八郎元帥がまつられている「東郷神社」
東郷元帥像の更に上、至誠館の隣にあるのが東郷神社です。秩父御嶽神社境内にありますが、東郷元帥が亡くなった翌年の昭和10年に建立されました。もちろんご祭神は東郷平八郎元帥。シンプルな造りはなんとも言えない雰囲気が漂っていました。
さらに上へと続く高く急な凶悪階段が続く
東郷神社や至誠館まで来ましたが、そこはまだ中腹でした・・・。至誠館の横にある道を少し上ると強烈な階段が出てきました。時間的に厳しかったのですが、本殿まで行かないと後悔しそうなので進むしかありません!
あの旗の先くらいに本殿があるのろうかと思いながら階段を上っていきます。見て分かるかもしれませんが、途中か斜度が急になり一段一段の高さがとても高くなります!息切れ必至です。
登り切ったと思ったらまだまだ続く・・急な階段は368段あるらしい
先ほどの階段を上っていくと、緩くカーブした先にまだまだ強烈な階段が続いていました。とにかく一段が高いため凶悪です。息切れしながら上ります。有酸素運動どころではありませんね・・・。
ちなみにこの階段を上らずに拝殿を巡りながら山道を上るルートもあります。距離はありますが登山道のようになっているので階段よりラクだと思います。しかしやっぱり凶悪階段を制覇したいですよね?
後から調べたところ至誠館の横から本殿から延びる上部の階段は全部で368段あるらしいです。下部の階段は急ではありませんが全部で315段程度(正確には分かりません)あるみたいなので、どれだけ大変か分かってもらえるでしょうか。
達成感が半端ない!「本殿(頂上奥社)」へ到着
ヒーヒーいいながら秩父御嶽神社の階段を上り、標高は350mの本殿(頂上奥社)へたどり着きました。達成感が半端ないです!参拝して時間のことを忘れてしばらくぼーっとしていました。
階段ではない参道を下りながら・・「三笠山神社」
帰りは登山道のような道の途中にある社を参拝しながら下りました。こちらは本殿から少し下った三笠山神社。
林道散策や登山道ででもよく見かける「まといリスの看板」
林野庁が山火事防止のシンボルマークとして採用したのが「まといリス」。そのため都道府県や自治体で少しちがったデザインの看板があるのですが、これはオーソドックスに見慣れた雰囲気の「まといリス看板」。なぜだかとてもホッとします!
さらに下って「大江権現社」
途中途中にこのように参拝出来る場所があります。階段を上って参拝にいく人達を見ながら気楽に登山道を下りていきました。階段の上りに比べれば、登山道の下りはとてもラクです。
お祓いをするための「祈祷殿」
参拝者のご祈祷をするための祈祷殿です。七五三や厄払い等のお祓いは、この祈祷殿か神社入口付近の里宮遥拝殿で行われるようです。
里宮遥拝殿がない時代はここまで上るのは大変と思いましたが、林道のような私道?がこの付近まではつながっているようでしたので、ご祈祷の予約をしていれば車で近くまでこれたのかもしれませんね。
時間のあるときに見学してほしい「秩父御嶽神社・東郷公園」
いろいろ見てまわるとと参拝にとても時間がかかるのが秩父御嶽神社です。御嶽神社に東郷要素が加わって一風変わった神社で、とても見ごたえがありました。また、凶悪な階段にチャレンジしてみたいという方にもオススメです!
頂上を目指すのであれば、しっかりとドリンクを持参してチャレンジしてくださいね!
埼玉県(所沢・狭山・飯能エリア)の観光スポットを探そう!
自然もいいのですが、歴史やお寺なども面白いエリアです!もちろん自然も多く、サイクリングや低山ハイクも楽しめます。
埼玉県(所沢・狭山・飯能エリア)の観光や散策スポットを探して是非楽しんでください!
「秩父御嶽神社・東郷公園」の場所
どこまでも続く階段や東郷元帥像で知られる「秩父御嶽神社・東郷公園」は飯能と秩父の間の国道299号線上にあります。
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