パースで飲み過ぎ金欠に。農場での肉体労働でお金を稼ぐ【オーストラリア一周ツーリング その7】
パース→ドーニーブルック(12月4日〜2月17日)
初めての海外ツーリング。XLV750で乾いた大地を走った24000kmの旅。(1994.6-1995.4)【その7】
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毎朝7時にシャワールームにいた女の子
毎日のキャンプ生活で規則正しい生活をしていたからか、毎朝6時30分には起きていた。
ご飯を食べ、シャワーをあびると朝7時。
その朝7時のシャワールームで、毎日一人の女性といつもすれちがっていた。
当然、挨拶が俺の日課となる。
ちなみにワカメちゃんも毎日7時ごろ彼女を見ているらしい。決まって朝7時に現れる謎の女性・・・
正体はこの宿でバイトをしているだけだったが、夕方に彼女を見かけたので話しかけてみた。
名前や出身など簡単な事から徐々に聞いていく。
日本でもツーリングの先々で皆がやることだ。
ただ違うのは、外国人女性なので、話かけるのに少し勇気がいるということ。
彼女は宿で随分と日本人を見ているが、日本人の男性に話しかけられたのは初めてだと言っていた。
彼女が日本人であったらすぐに日本人の男がよって来るほど可愛いと思うのだが、やはり言葉の壁は大きい。
毎朝7時見かけていたから話かけやすかったが、そんなキッカケでたまに話しをするようになっていった。
小排気量車の欠点
ワカメちゃんはクリスマスを待たずにパースを出発するらしい。
CT110のペースが遅いので、ゆっくりしているとビザがあるうちに一周出来ないので仕方ないそうだ。
小排気量バイクで一周に羨ましさはあったが、時間に追われ始めると小さいバイクも考え物だ。
長くいたい所では長く滞在したい。
パースで俺はゆっくりするつもりなので、ワカメちゃんとはオーストラリアではもう会わないだろう。
豪勢な晩飯を作り、ワカメちゃんとのお別れパーティーをした。
翌朝、彼の旅の成功と日本での再会を願いながら、彼の旅立ちを見送った。
毎日がパーティー三昧な1ヶ月間
ワカメちゃんが去った後、朝7時の女性のRに誘われ、パーティー等のイベントに参加した。
それをきっかけに宿に宿泊している外人達とどんどん親しくなっていった。
学生の頃にもどったかのような飲みっぷりと、酔った勢いで、得意のいいかげんな英語を使いまくる。
言葉が不便でも、楽しく一緒に過ごせるやつは日本人だろうがなんだろうが関係ないようだ。
この宿にきてから2週間後には、ぜんぜん知らない人のパーティーにまで誘われるようになっていた。
そこでドイツ人の旅人に、「こういうパーティーに日本人が来ているのを初めてみた。
日本人は外国人と会話をしたがらない。「おまえらは日本人どうしで固まりすぎだ。」と言っていた。
そんなことはないと反論したが、彼らからはそのように見えるのだ。
英語が話せないから気後れし、なかなか中に入って行けないだけなのだ。
実のところ、ヨーロッパ系の人もいい加減な英語を使う。
正確な英語でなくてもいいから、ノリのいい英語を使う事が外国人の友達を作る秘訣なのかもしれない。
喋れた方がいいに決まっているが、言葉はたいした問題じゃないのかもしれない。
オーストラリアのビーチで過ごすクリスマス
オーストラリアの季節は日本と反対だ。クリスマスは夏!
クリスマスや新年は、パーッとビーチで騒いだり飲みにいったりした。毎日がパーティー!!
楽しかったし、俺の英語力も飛躍的に伸びた気がする。
お金がヤバイ!働く決断!
しかしそのお陰で、お金がヤバイ状況になってきていた。
飲みに行くところはハッピーアワーがあるお店を狙っていったはいたが、さすがに毎日のように飲んでいたらお金は尽きる。
『働くしかない!』俺はどこで働くか検討中しはじめた時、知り合いになったオーストラリア人の友達も金がなくなっていた。
彼は農場へ働きにいくという。
お金をてっとりばやく稼ぐのに、農場は都合がいい。俺も彼についていき、一緒に仕事を探すことにした。
ついにパースのこの宿を去る時がきた。
宿に宿泊しているほとんどの人と知り合いになっていた。飲みにいったり、スポーツしたり、いろいろな想い出があった。
本当に居心地が良く離れたくなかったが、お金が無いのだから仕方ない。
特に親しかった朝7時の女性のR、ビリヤードをやりまくったイギリス人のWとJに再会の約束をし、新たなる滞在地ドーニーブロークへ向けて旅立った。
ドーニーブルックの農家を回って仕事を探す毎日
パースからドーニーブルックまでは200km程しかない。
アッと言う間に町へついた。宿をすんなりと決め、部屋はパースからの道連れ、HとWと同じ部屋になった。
ちなみに部屋は6人部屋だった。6人部屋を3人で使えるのは気持ちいい。
パースの宿よりもここの宿の方が何倍も清潔でいい感じだ。
翌日からハスの車で仕事探しを始めた。何件かの農場を回り、Hは一つ仕事を打診したらしい。トラクターに乗る仕事だった。
おれとWは仕事を早く見つけたいがなかなかない。結局この日は見つけられなかった。
その翌日もまた農場を回る。ない。今は収穫のシーズンじゃないので、あまり仕事がないのだ。
数日後ハスは仕事に就き、ウェインも仕事を得た。焦る。言葉の壁はやはり大きいのか・・・。
毎日毎日バイクで農場回りだ。Hにアドバイスをもらっていたのだが、オーストラリアでは何度も足を運ぶと仕事が貰えるらしい。
道路を順番に走っていって、一つ一つ聞いた。毎日、いくつもの同じ農場に顔を出して仕事のお願いをした。
一週間ほど聞き続けたら、何件か仕事を得られそうな所が出てきたが、最終的にはHの紹介で同じ農場で働くことに決めた。
自分で探した所より給料が良かったからだ。お金がないのだから、条件の良いところで働きたかった。
農場での仕事は水やりという名の肉体労働
約1か月半もの間、俺はドーニーブルックの農場で働くことになる。
俺の仕事はイリゲーションといって、スプリンクラーの移動と設置だ。
トラクターにスプリンクラーをのせ、パイプをつないで設置。
設置し終わったら別の場所のスプリンクラーを回収して、隣の隣の列に設置しなおす。
一日中パイプを動かし続けるのだ。
広めの通路があるところでは、トラベリングイリゲーターという機械をセットし水やりをする。
果樹の列の手前側に機械を設置し、反対側までワイヤーをひっぱって設置。
ホースをつなぐと消防車の散水のように水やりしながら移動していってくれる。
なんにしろ、肉体労働だ。それが朝の6時から、通常は18時、遅い時は20時まで・・・。
平日は疲れ果てて宿に帰ったらバタンキューだった。
パースへの小旅行
パースへ行く用事が出来て、休みを利用してパースへ行った。
事情があって一緒に遊んだ仲間達みんなが宿を移っていたが、再会できて話し込む。
話をし終わった後その宿に泊まっていたの日本人に、外国人と親しげに話しているから日本人じゃないと思いましたよと言われた。
なんだかむしょうに寂しさが込み上げて来た。せっかく外国きてるんだから話そうよ!
その夜はみんなと飲みに行った。信じられないが、クリスマスを一緒にすごした仲間達は、ほとんどの人がパースにいたのだ。
そしてどうやら今日はたまたまラトナーの誕生日でもあったらしい。
彼女に「プレゼントは?」と言われたが、誕生日なんて聞いてないよ!
農場での仕事を一緒にしていたオーストラリア人
ドーニーブルックに戻り、また辛い農場での日々が続く。
俺はオージーとペアを組んで仕事をしていたが、そいつがやな奴なのだ。
時間があればサボりたいから、ボスが見回りに来たりすると焦るんだ。
そして焦ったあげく、働いているおれの足をトラクターで踏んづけたり、もう本当に思いだしたくもない!
愚痴を言い合いながら、毎日働く日々
6人部屋の空いているベッドに女性が何人かやって来た。彼女達はイギリス人2人とオランダ人1人。
同室だったので、トランプしたり、仕事のグチをいいあったりと、友達になっていった。
ちなみに、この町へはみんな働きにやってくる。
彼女達も日本人男性と話すのは初めてだそうだ。
日本人男性は人気がなく、日本人女性は人気があると言われているが、たぶん違う。
日本人女性は人気があるといわれるが、外国人男性はちゃんと女性に声をかけるからだ。
外国人女性も、日本人を嫌っているわけではない。
いやむしろ、日本に対して興味を持っている人が多いくらいなのだ。
日本国内でも、女性から男性に声をかけることは少ない。
海外でも同じことで、男性が女性に声をかけなければならないのだ。
それに気がついてからは、話せなくても男性女性の区別なく積極的に話をするようにしている。
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