好きなジャンルだけを見るには
ココのメニューをクリック→

前書き

広大な大地。地平線の彼方へと続く道。日本でのツーリングには少しばかり飽きていた。日本のどこへ行っても前に来たことがあったかなと、何を見ても同じように見えてしまう感覚。日本では感じることの出来ないそんな大地に憧れていたのかも知れない。オーストラリアの写真やニュースを見るたびに思いは強くなり、真っ赤な大陸をオートバイで走ってみたいという思いになっていく。。そして1995年6月オーストラリアへ…

 

ブリスベン(6月30日〜9月12日)

<不安と期待とバイクの購入>

PHOTO

ブリスベンの街にて

PHOTO

マウントクーサに行く途中

『オーストラリアの大地を早く走ってみたい』という思いと、あらゆる事に対する不安とともに「ブリスベン」に向けて日本を後にした。バイクでオーストラリアを走る人は、情報の多いシドニーに入るのが普通だが、『大都市よりコンパクトな街の方が歩きやすい!』という日本での経験をもとにシドニーではない街へ行くことにした。亜熱帯の気候で日本と違う感じかも知れないという期待もあった。しかし日本でバイクの情報が入るのはシドニーばかり。旅に出たらなんとかなるとは分かっていても心の中は不安だらけ。初めて一人でロングツーリングに行ったときのようにワクワクとドキドキの不思議な感覚が心の中でいりまじっていた。

海外旅行は初めてではなかった。英語ができなくてもなんとかなるとは思っていた。でも「せっかく英語圏に来ているのだから」「この先ツーリング中にも日本人以外の人々と話しがしてみたい」という思いから、まず英語を勉強しながら海外での生活を楽むことにした。とにかく時間はたくさんあるのだから、あせって旅に出るよりも旅が楽しく充実するよう腰をすえてのぞんでみる。

ブリスベンでの生活に慣れてきたころ、ツーリングに使うバイクを買いに行った。俺としては600ccクラスのオフ車がいいと思ってた。実際走り終えた実感としても、このクラスのオフ車か350ccくらいのバイクが一番オーストラリアに合っていると思う。しかし俺の相棒は、バイク屋で一目惚れしたホンダのXLV750R。オーバーサイズ、オーバーウェイトのオフローダー。その時は激しいダートロードに行く気もなかったし、バイクの程度も良く、値段も安く、600ccクラスのオフ車が高かったと言うこともあってXLV750Rを購入した。このバイクの欠点が分かってはいたけど、その重量感やバカさかげんが妙に気に入ったのだ。

 

ブリスベン→ケアンズ(9月13日〜10月4日)

<旅立つ>

PHOTO

ヌーサ

PHOTO

ホエールウォッチング

こちらに来てから2か月ほどたち、俺はブリスベンでの日常的な生活には飽きはじめていた。もちろん日本とは違った環境の中でいろいろな発見はあったが、旅が目的だったこともあり早く旅に出たかった。

オーストラリア一周への出発日の前日に工具やスペアパーツ、そして日本でずっと愛用していたテントやストーブ等を慎重にパッキング。明日から始まる長い長いツーリングに胸を高鳴らせながら夜がふけていった。

いよいよ大陸一周への旅が始まる。ジャスト昼の12時、世話になった人に再会を約束してブリスベンの走りなれた道を北へと向かう。基本的なルートは1号線を使う予定。というか選ぶような道はそれほど無いのだった。まずこの区間での見どころは、ヌーサのビーチ、時期にもよるがハーヴィーベイでのホエールウォッチング、世界で一番大きな砂で出来た島フレーザー島、ウィットサンデーの美しい島々等。その中でも俺の一番印象が強いのはフレーザー島。この島は本当に美しい。日本人ライダーのほとんどが通過してしまうところなのだが、美しい川などほとんど手付かずの自然と野生動物。そして道路は全部砂。この島には宿泊施設もほとんど無く、みんなキャンプをそれぞれ楽しんでいる。キャンプを楽しむといっても、日本のように家族でのコミュニケーションをとるためにオートキャンプしているという感覚ではなく、純粋に自然を楽しむためにキャンプしている人が多い。こんなに素晴らしいところがあるなんて。

 

<フレーザー島でのこと>

PHOTO

フレーザー島の道

PHOTO

マッケンジー湖

なにはともあれ、ここでこの旅で初めての出会いがあった。彼らの名前はフィッシャー。キャンピンググランドで知り合ったフィッシャー一家はホリデーでシドニーからの家族旅行を楽しんでいた。彼らは当然のように夕食に招待してくれ、オーストラリア流の食事をとりながら日本のことやオーストラリアのことについていろいろ話しをした。お父さんのヒューは米の研究をしているそうで、日本での農業について非常に関心があった。お母さんのロザリンはウクレレとギターを教えているそうで、日本の楽器に興味を持っていた。子供達は日本の遊びを知りたがった。かなりいいかげんな英語を使って、聞いたり教えたり。英語を話せると言うことよりも、知識を持っていることの方が大切に感じた瞬間でもあった。話しはみんな真剣に聞いてくれるし、分かりやすい英語で話しを聞かせてくれるので、楽しい夜があっという間にすぎていった。

次の日、子供達のベンジャミンとティモシーと俺の3人で、キャンピンググランドからマッケンジー湖まで歩くことになった。マッケンジー湖はこの島で最も美しい湖で、ヒューとロザリンは車で先に湖まで行き、昼食を準備しておくとのこと。3人は意気揚々と昼飯に向かって川を渡り湖を泳ぎながら突き進む。2人は元気一杯に。俺はゼイゼイ。子供達とたくさん会話しながらの楽しいトレッキングだった。「子供のうちからいろんな人種に接するというのは、いいことだなきっと。」とか真面 目なコトも考えたりしてるうちに湖に到着して昼飯を食べる。楽しい時間の中のご飯はやっぱりうまいね。

 

<悪いやつもいるもんだ>

PHOTO

バンダバーグ近郊

PHOTO

グレートケッペル島

フィシャー一家に別れを告げ、1号線を北上しロックハンプトンに向かっていた。少し前からバイクがおかしい。昨日まであんなに調子の良かったバイクがスピードもだしていないのにオーバーヒートするのだ。自分で思いつく可能性を考えてみる。まず考えられるのはオイルが無いということ。しかしオイルは十分に入っている。どうやらオイルがまわっていないようで、オイルラインの詰まりかオイルポンプのようだった。まわりを見渡して見る。なにもない。『ここでは直せない。』トラブルが発生した時、この国の大きさを実感した。この世の中にただ自分ひとりしかいないよう。ロックハンプトンの町まで約70km、何度も休憩をいれながらただエンジンを壊さないように走っていく。たった70kmの距離なのに、途方も長い距離感じられた。

原因究明まで時間がかかり、俺は1ヶ月半もの間ロックハンプトンの町で過ごしていた。もうアキアキだよ。結局のところ、バイク屋にエンジンを開けて調べてもらったところでは、オイルポンプの詰まりとのことだった。『こんなトラブルもあるんだなー、お金もかっかちゃたし無駄な時間も過ごしたけどまあしょうがねーな。』と自分自信で納得していたところで、バイク屋の説明があった。「これは誰かにイタズラされたみたいだね。みてみろこれ。」と言って石のようなものをだす。どうやらそれをオイルの注入口から入れられたらしい。考えてみればここへ来る間のキャンプ場で思い当たるフシが無いわけでもない。多少落ち込みつつも、仕方のない事として諦める事にする。バイクはむきだしだ。イタズラしようと思えばいくらでも出来る。盗まれなかっただけマシ。旅が続けられる喜びのほうが大きい。

 

ケアンズ→ケープヨーク(10月4日〜10月17日)

<ケープヨークへ>

PHOTO

3人でTOPを目指す

PHOTO

船で川を渡る

タウンズビルの町で会った飲んだくれスコットランド人ライダーのケビンに案内され、とあるバックパッカーズに泊まっていた。そこは日本人のライダーが大勢宿泊している安宿で、俺にしてみればあまり泊まりたくない宿の1つだったのだが、そんな宿に泊まったのにはもちろんワケがあった。ここまで来る途中に話しをしたライダーみんながケープヨークに行くべきだと言うのだ。「そこはたいへん美しくオーストラリアが凝縮されている。」「そこがオーストラリアNO.1の道だ。」何がNO.1なのかよくわからないのだが、とにかく行ってみたいと思ったのだった。しかしケープヨークへの道は、砂あり、川あり、地割れありのケアンズから約1000KMの道。もちろんその間に町らしい町はないし、バイクの墓場でもあるらしい。そして運の悪いことに俺のバイクは750cc。どう考えても1人でいくのは危険であると感じた。現にDR800のドイツ人ライダーから、砂でスタックし一人では脱出できなかったと聞いていた。だから俺はケープへの道を一緒に行く仲間を求めここにきたのだった。

行程を共にする仲間はすぐにみつかった。1人はカズさん、もう一人はトール。それぞれXT250、XT600に乗っている。俺のバイクが一番分が悪そう。あまりにでかすぎてクソ重い。舗装路なら負けないのに…。

俺達の考えたルートは、最初海岸ぞいをクックタウンまで北上、そこからレイクフィールドナショナルパークの中を通 り、メインのルートに出る。そこからはもう道は一本しかない。最北端のトップまで3日の行程だ。

海岸沿いの道は上り下りの激しい日本の林道のような道プラス砂。急な下りでブはレーキをかけても止まれないところもあった。ヒヤヒヤしながら走っていると、トールがこけた。その時の俺のバイクのスピードは5km。トールを避けるためブレーキを少しかけた瞬間、タイヤはロックしながらそのままおちていく。『坂の途中じゃ止まれない。坂を下りたら助けに行こう。』その時追突しそうになりながらもなんとか態勢を立て直し、バイクを止め彼を助けに行く。彼はもう全身真っ赤になっている。ここまでの間にも彼は何度か転倒しているからだ。『こんな感じでトップへ行けるのだろうか。』頭の中にそんな思いがよぎる。その日の走行はクックタウンまで。あまりの道のひどさで距離があまりのびない。

 

<前兆>

PHOTO

ケープヨークの道

クックタウンでトールのバイクを改造することになった。彼の体にXT600があってなく片足ツンツン状態なので、その対応策としてシートのアンコぬきをすることにしたのだ。その結果は両足がつくようにり安心感がました感じ。3人は意気揚々と出発。クックタウンからラウラまでの道はアップダウンは無いものの、ダストホールが突然現れるヒドイ道。ダストホールとは穴に細かい砂が溜まっているもので、堅い路面に突然出現する。80km位のスピードで走っている時に急にそんな穴が出てくるのでたっまたものではない。何度もハンドルをとられながら冷や汗をかく。そんな道をクリアしている時、前を走っているトールが突然止まった。彼のXTは転倒を何度も繰り返す内に調子が最悪になっていた。何度キックをしてもエンジンがかからない。とりあえず彼のバイクをチェック。オイルが少ない。エアクリーナーのボックスに大きな穴があいていてエレメントは砂で真っ赤。とにかくオイルの補充とエアクリーナー清掃でエンジンはなんとかかかったが、煙を噴きまくるバイクを見て『もうエンジン開けないとダメじゃないのか。』と感じていた。

 

<最悪の日>

PHOTO

蟻塚が現れはじめた

またかと言う感じでトールのバイクのエンジンがとまる。彼のバイクは、このところいつも白い煙りを2ストロークのバイクのように吐きながら走っている。俺はもう彼はこれ以上無理だろうと感じていた。非常に冷たい言い方だがウンザリしていた。おそらくカズも。もちろんトールの前では2人とも平静を装っていたし、はげましていた。トールの気持ちや立場もすごくよくわかったし『俺達はぜんぜん気にしていないから。』というスタンスだったが、さりげなく『今回は諦めたら?』的な助言もしていた。トールが「ラウラの町で諦める。」と自分から言ったとき、俺とカズは彼の悔しさ、自分の甘さや無力さ、やりきれなさが痛いほどわかった。あまり詳しくは書かないが、彼はこの後、転倒によって、骨折。フライングドクターの飛行機でケアンズへ戻った。彼が去った日、俺とカズはあまり彼のことには触れずに、少し苦い紅茶を飲んでシュラフにくるまった。

 

<トラブル>

PHOTO

蟻塚がどんどん大きくなる

PHOTO

奥へ奥へと進んでいく

トールへの手紙を書いた後、俺とカズは2人で北へと向かう。ラウラからメインロードに入りペースがかなり上がりはじめる。道がいいのだ。いいといってもコルゲーションという洗濯板状のダートなのだが。

「最初からこっちの道にくればトールもいけたかもな。」とカズが言う。『あの時ああしておいたら…』というのは無意味な事なのは分かってはいるのだが、ついついトールの話しになってしまう。時々彼のことが頭をよぎりながらも、あり塚が今までに見たことのない大きさに大きくなっていくのに感動しながら、ひた走る。

アーチャリバーという町から先約350kmガソリンスタンドは無い。ガソリンを十分に補給して、バイクの各部をチェックする。マフラーのステーが両側とも『折れてる。』。片側はここまでくる途中に気がついて、ハリガネで応急処置はしておいたのだが、それも折れ、もう一方のステーも折れているのだ。とにかく激しいダート走行に負けない処置の仕方を考えなければならない。それには俺の持っているハリガネでは細すぎるのでガソリンスタンドのおやじに太いハリガネがないか聞いてみるが、無い。俺の持っているはりがねで普通に応急処置したら、また折れてしまうのは目にみえている。『次から次へとまったく…。』アイデアを絞りだして処置の仕方を考える。細い針金で太い針金を作って、ステーを作り、それをゴムのツーリングネットで止めた。直接とめると擦れてそこから折れてしまうので、ゴムでショックを吸収するのだ。なにもないところでは、アイデアで勝負だ。

 

<トップへ>

PHOTO

見所のエリオットフォール

PHOTO

トップ!

アーチャリバーの先でトップへの道は二手に分かれる。OLDロードとNEWロード。OLDは道も細く川渡りもあり、もちろん道自体も悪い。俺達は行きにOLD、帰りにNEWを通る事にした。OLDの砂にタイヤをとられてケープヨークでの初転倒。フレーザーで砂道を練習したとはいえやっぱりバイクが重すぎる。自分で選んだバイクなのに後悔しはじめた。『軽いバイクにしときゃ良かった。』と心底思う。

『砂はキライだ。』一度転ぶと荷物を下ろさないと引き起こせない。バイクは重いし、道は砂だ。カズさんは気づかずにドンドン先にいってしまう。『1人で来ても同じじゃないか。』ブツブツ小言を言いながら200kgもあるバイクを引き起こす。この後数回転倒したが、カズさんは一度も気づいてくれなかった。それにしてもこの道、『エンデューロレースやってるんじゃないぞー。このやろー!』

俺達はトップにあるセイシアの町のキャラバンパークに泊まっていた。今日はいよいよ最北端のTOP OF THE CAPE YORKへ。セイシアから約30km、オーストラリアの広さからすれば『ちょっとそこまで行って来る。』という感じでだ。カズさんと連れ添い、バイクを走らせる。バイクを止め、岩の道を歩く。2人の胸は高鳴り、会話がはずむ。そしてトップ。なんともいえなくキレイだ。天気も曇り、景色だって後で考えてみればたいしたことはないのかも知れない。でもその時は海の流れの早さ、岩の上に座っている自分、遠くに見える島、ビーチ、2人しか人の気配を感じることのできない静寂さ、そして波の音、すべてに感動する。2人とも何も喋らない。1時間…2時間…、さっきまであんなにはずんでいた会話がない。ただただ自分のなかで感動する。トールと3人で乾杯したかった。

 

<トップでの釣り>

PHOTO

セイシアのキャンプ場で乾杯

セイシアのキャンプ場の前には、ビーチとそこから突き出た桟橋がある。とても暑いところなので、ビーチでひと泳ぎといきたいところなのだが、ここにはサメとワニがいるのでよほどの覚悟がないと泳ぐことは出来ない。ワニが海にもいるということを始めて知った。俺は一時の快感を求めて彼等の餌食になるのはイヤだったので、ビールでも飲んでガマンすることにする。しかし、トップでは泳ぐことが出来ないかわりに、非常に面白いことがあるのだ。桟橋からのつりがとにかく最高。なんと糸と針さえあれば60cmもある魚が釣れる。まず針を桟橋の下にいる小魚の群れにめがけてたらしてみる。そこでクイッとやると20cmほどの魚を引っかける。日本だったらこれでもう大満足だが、それを沖へ投げてみる。グググッという手応えとともに60cmほどの魚が…。信じられない。入れ食いである。何人もアボリジニの釣人がいるが、釣りすぎないようにしているのか必要な分を釣ったら帰ってしまうみたいである。俺達は糸がちょっと細くて、糸を切られてばかりで2匹しか釣れなかった。それでも十分!夕食はもちろん魚だ。

 

<再びケアンズへ>

PHOTO

ニューロードにも砂道が

PHOTO

ナンバーに穴があく

ここまで来ておいてケアンズまで同じ道を帰るのを考えたくなかった。考えると憂欝だった。と同時に街へ早く戻りたいと思いもあった。やはり俺達は文明のある生活を欲するみたい。街で生活しているとむしょうに自然の中に行きたいと思い、圧倒的な自然のなかにいると街が恋しくなる。人間なんてワガママだ。そして街へ向かってオーストラリアのダートロードを南下する。かなり道は走り慣れていたし、一度通った道ということでかなり順調にケアンズまで走ることが出来た。トラブルといえばナンバーに穴があいて、落ちかけたことぐらいだ。

トップからケアンズまでは3日。トップから約700kmで俺達は舗装路にはいった。『もう大丈夫だ。』俺のバイクはまだマフラーのステーに爆弾を持っていたのだ。ケアンズの街が脳裏によぎる。というより、宿の前のハンバーガー屋やパブなどだったが。『トールはどうしているだろうか。』という思いが一番強い。
PM2時30分、ウールワースというスーパーでトールへのお見舞いを買って、俺とカズはバックパッカーズへ到着した。当然2人の顔がほころび喜びをわかちあう。『やったぜ。』しかし、俺達の心には少し気になることがあった。そう、トールのことだ。そんな俺達をトールは笑顔で「おめでとう。」といってくれた。彼はもちろん悔しかったのだろうが、それを微塵も感じさせない明るさで俺達を向かえてくれ、俺達は救われた。彼はまたいつの日かケープに挑戦するそうだ。是非行ってもらいたいものだ。

コメントを書く

*

コメントはありません

  • My Yahoo!に追加
  • follow us in feedly
  • tripoo_takasをフォロー
  • rss