旧石川組製糸西洋館〜和を強く感じる独特の建物
大正から昭和の初めにかけて全国有数の製糸会社だったのが石川組製糸です。その石川組が外国人のバイヤーたちを招くための迎賓館としてたてたのが「旧石川組製糸西洋館」でした。
西洋館との名前がついていますが、和を強く感じる建物はとても面白かったです。この独特の世界感を持つ「旧石川組製糸西洋館」の見学レポートをしてみたいと思います!
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明治26年に創業した製糸会社、石川組が建てた迎賓館
石川組は、石川幾太郎が1893年(明治26年)に創始した製糸会社です。はじめは手作業で製糸作業をしていた会社ですが、1年後には蒸気を使った機械製糸に切り替え規模を拡大していきました。
最盛期には入間を中心に、福島、愛知、三重、福岡にも工場を持ち、出荷高は全国6位!日本有数の企業へと成長しました。そのため外国との取引も多く、貿易商を招くにあたって迎賓館を作ったのです。
和の要素を多く取り入れた西洋館
設計は東京帝国大学(現東京大学)で西洋建築を学んだ室岡惣七氏、建築は川越の宮大工であった関根平蔵氏がおこない1921年(大正10年)に完成。現在は国登録有形文化財になっています。
横浜の外国人建築家が建てた洋館と比較すると、旧石川組製糸西洋館は和の要素がとても強い建物です。煉瓦調のタイル貼りで洋館らしい趣の建物が見えてきますが、玄関は思い切り和テイスト!入口ポーチから面白いです。
設計者のコンセプトか、施主の意向か分かりませんが、迎賓館に訪れた外国人の目を楽しませるための仕掛けの意味もあったようです。
これから室内を見ていきますが、思いのほか和のテイストが多く、昭和のおばあちゃんちが入り交じった雰囲気にも驚かされました。
外国人貿易商達をもてなすために随所に和のテイストを取り入れ工夫しながら建てた、旧石川組製糸西洋館はとても見応えがある面白いものでした。
洋館らしい雰囲気の玄関ホール
和風の玄関からホールへと進みます。ホールに左手に食堂、奥には応接室や控え室、右手には階段があり、さらに右には客室があります。階段の下には待合スペースもありますね。玄関ポーチとは打って変わって洋館らしい雰囲気です。
手すりや柱は桑の一木で作られており、端部には凝った造りのレリーフがあったりします。洋風テイストとは言いましたが、各部は木目を生かした日本建築らしさが強く出ているのも面白いですね。
広く凝った造りの食堂
玄関ロビーから左へ進んだ食堂です。大きなテーブルと18人分の椅子がセットされていました。それだけの人数が座れるテーブルを置いてもこの余裕で、とても広い部屋なのが分かると思います。
広いだけでなく、天井の周りを囲む木や格子状にデザインされた木製枠など、部屋自体もとても凝った造りです。この当時に入間の地ということを考えると、この洋館の規模や造りは本当に豪華です。
歴史を感じる応接室
お客様との商談なども行われたであろう応接室も、とても凝った造りになっています。壁紙なども含め建築当時のものもそのまま残っており、とても見応えがありました。
天井は、折上小組格天井と呼ばれる和の建築様式ですが、和太い格子と細い格子で強弱をつけており、とても美しく目が離せなくなる天井です。
和を強く意識させられる応接室は、時代物の偉い人の部屋そのもの!映画などにも出てきそうな雰囲気ですが、実際に旧石川組製糸西洋館はテレビや映画のロケにもよく利用されているんですよ。
この応接室にあった桐の本棚には、中国の歴史書「書経」からとられた漢字が掘られています。「物事がよく調和し、互いに関係を乱さなければ、自然と人は一つになれる。」という意味があるそうです。
和テイストを感じる控えの間で棟札を見る
応接室と食堂の間にある控え室です。こちらはさらに和を感じる雰囲気でした。この部屋には旧石川組製糸西洋館の上棟の際い作られた「棟札」が展示されていました。
外国人の宿泊を意識した客室
ベッドがあり窓が大きく柔らかい光が差し込む洋館らしい雰囲気がある部屋です。外国の方はほっとしそうな雰囲気のある部屋なので、外国の方を泊めることも意識しているのでしょか。照明もとてもおしゃれです。
広々とした2階ホール
階段を上がり2階へとやってきました。二階のホールも広々ろした洋風テイストです。当時の人がソファに座っている姿を想像すると面白いですね。こちらのシャンデリアも当時のものでだそうです。本当にいろいろと残っていますね。
痛みが激しい豪華な貴賓室
2階ホールの回りにも部屋がいくつかありますが、まずは宿泊用に作られた貴賓室です。この部屋は痛みが激しいため現在は入室不可なのですが、当時のままの姿で残っています。
壁は絹布の布団張りで天井には金色の雲が描かれています。そのままの状態のため貴重ともいえますが、見方によれば廃墟のような雰囲気でちょっと怖いですね。でも、装飾などは凝っており本当に豪華だったのだろうと想像ができる部屋です。
ダンスなども楽しめた赤い絨毯が敷かれた大広間
赤い絨毯が敷かれた大広間です。ダンスなども楽しめる大広間には赤い絨毯が敷かれています。その絨毯の下はコルク張りになっており、下の階に音が響かないように配慮されています。
大広間の窓のカーテンボックスは当時のもので、見事な刺繍が施されていました。絵柄は全て違っているので見比べてみても面白いですよ。
旧石川組製糸西洋館は、戦後に米軍に接収された経緯があり、その際に3世帯が住めるように改築されてしまいました。大広間の奥にはベランダがありましたが、サッシがはめられて室内化されキッチンへと改築されました。
大広間には「四君子」をモチーフにした珍しいステンドグラスが壁に取り付けられていま。こちらは100年ぶりに修復されて2021年から見れるようになりました。
「四君子」は蘭・竹・菊・梅がモチーフですが、実物の一番右のステンドグラスは、作家の遊び心か入間の名産を取り入れて「茶の花と実」をモチーフにしている可能性が高いそうです。
クローゼットが痛々しい和室
赤い絨毯の敷かれた大広間の隣には、なんと和室が広がっています。こちらも米軍に接収された際に板張りのクローゼットにされてしまい、純粋な和室とは違った雰囲気です。
和洋折衷というよりも、和風建築に便利なものをとりいていった昭和のおばあちゃんち的な雰囲気です・・・。この家自体が歴史の証人でもありますね。
繋がっているもう一方には床の間がありますが、石川家に変換された際にクローゼットから床の間に戻したからです。床の間の壁に傷がたくさん入っているのはクローゼットだったからということのようです。
さきほど昭和のおばあちゃんち感がすごいと言いましたが、天井からぶら下がっている蛍光灯もその雰囲気を増している気がしますね。
この2つの和室の回りにはぐるりと廊下があります。窓は洋館らしい窓が連なって取り付けられており、縁側というよりは洋館のサンルーム的な雰囲気に感じました。
後から改築されたバスルーム
バスルームも本来はなかったそうなのですが、進駐軍が住むにあたって改築した部分です。もはや団地感すら感じさせる雰囲気です。これもまた歴史ではありますが、設計者が見たら嘆きそうですね。
別館方面への階段
2階からは別館方面へと下りる階段があります。別館にはキッチン、バス、トイレ、和室や洋室などありましたので、そこへのアクセスに使います。
動線的には、キッチンで作ったお料理やお茶などを2階に運ぶことなども想定しているのかなと思います。
キッチンなどがあった別館
こちらの別館も初期の正確な間取りは分かっていませんが、基本的には使用人達が仕事をする空間だったようです。現在別館は見学者用のトイレが作ってありトイレ利用ができます。
別館を外から見た所です。別館にももちろん別館用の出入り口があります。
裏側から見た旧石川組製糸西洋館
分かりにくいですが、右奥のベランダ部分にはアルミサッシになっておりちょっとガッカリします。ここは先ほども説明しましたが、進駐軍の接収時にベランダを室内空間に改築してキッチンとなっていた所です。
建物や歴史が楽しめる旧石川組製糸西洋館
1921年(大正10年)に作られた旧石川組製糸西洋館は、海外からのお客様のライフスタイルを壊さずに、日本の良さも知ってもらいたいという意向のものとに作られたのでしょうね。和の要素をふんだんに取り入た独特の世界感が面白い建物でした。
旧石川組製糸西洋館を見学できる日
旧石川組製糸西洋館は一般公開の日が決まっています。入館料は、一般:200円(20人以上の団体は160円) 中学生以下:無料 です。
詳しい公開日や公開時間、入館料についてはは公式ホームージをご覧ください。
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自然もいいのですが、歴史やお寺なども面白いエリアです!もちろん自然も多く、サイクリングや低山ハイクも楽しめます。
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旧石川組製糸西洋館の場所はこちら
西部池袋線入間駅より徒歩7分の場所にあります。車の場合は建物の裏側に13台分の駐車場があります。
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