エアーズロックを見てブリスベンへ。一周の旅が完結【オーストラリア一周ツーリング その9】
ナラボー→ブリスベン(2月〜3月)
初めての海外ツーリング。XLV750で乾いた大地を走った24000kmの旅。(1994.6-1995.4)【その9】
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エアーズロックを見に行くための3000km
ナラボー平原を3日で抜け、ポートオーガスタに到着した。
ここでタイヤの交換と、オイルの交換をしなければならなかった。
オイルは約3000kmで交換していたが、一週間で5000km近く走ってしまっていた。
タイヤはアリススプリングスまでは十分持つと思ったが、ここで換えてしまうことにした。
ポートオーガスタからエアーズロックを見るためだけに、スチュワートハイウェイを往復3000kmも走るのだ。
バイクのオイル上がりが始まった
準備を整えて北上を開始したが、ナラボー平原のあたりからオイル上がり始まっていた。
ピストンリングかバルブシールがダメになってきたのだろうか。
すぐにはエンジンは止まらないが、ナラボー平原のダートロードに行っていたら不安になっていただろう。
アクセルをあけるとかなりの白煙を吹くので気が重かったが、無理せずにいけば一周できると判断して修理はしなかった。
あまりパワーをかけずに走行し、減ったオイルを補充するために予備のオイルも持つことにした。
単調ながらも日本では見れないような道が続く
スチュワートハイウェイもまた単調な道だった。
退屈だ退屈だと思いながらも非日常的な日々を過ごしていることに幸せを感じる。
休憩中の凄まじいハエの攻撃
今までもハエには悩まされてきたが、エアーズロックへ向かう途中が一番凄かった。
ハエといっても日本のようなギラギラした大きなものではなくて、もう少し小ぶりなハエだ。
バイクを止め休憩すると、時間とともにハエが群がって来る。
目、鼻、口、耳など穴という穴を攻めてくるのがたまらなく辛い。
特に、耳の中でブーンと動き回るハエは最低だ。アイツらはどこからわきでてくるのだろう。
バイクの為の休憩10分がどんなに長かったことか。
クーパーペディーという地下の町
エアーズへ向かうスチュワートハイウェイにクーパーペディーという町がある。
オパール堀りのための地下に作られた町というのが有名だ。
暑さも厳しいためみんな地下に穴を掘って住んでいるというイメージだったが、地上にも建物はあえい想像とかけ離れていた。
地下に掘った宿に泊まれば地下生活を感じられたのかもしれないが、今のご時世では地上でも冷房さえあれば快適に暮らせる。
昔は本当に必要だったのだろうが、人寄せのためにそうしているという感がぬぐえずに、早々と立ち去ってしまったのだった。
もちろん宝石に興味がなかったのも大きい。
エアーズロックが見えた!
マウントコナーを過ぎると、荒野の中に赤い岩がみえ始めた。まだ小さい岩にしか見えないが。
自分の中ではあれはエアーズロックだという確信はまだ持てない。
しかし、だんだんと赤い岩が近づき、大きさと共にあれはエアーズロックだという確信に変わる。
その岩は、太陽の関係で相当赤い。自分がどこかへまぎれこんでしまったかのように現実感が無い。
なぜこんなところにポツンと赤い岩があるのだろう?
エアーズロックはアボリジニの聖地だというのも理解できる。神々しく、存在そのものが不思議に感じる。
まずはマウントオルガを観光
エアーズロックへ早く行きたいが、先にマウント・オルガへ行くことにした。
今回のオーストラリアの旅は、エアーズロックの写真を見たことから始まったと言っても過言ではない。
エアーズロックへの思いいれから、エアーズロックへ先に行くとマウント・オルガへ行くのが面倒になってしまうのではないかと感じたからだ。
マウント・オルガは素晴らしかった。
オーストラリア特有の殺風景な景色であることに違いはないのだが、色が違う。
人間を包み込むかのような光を放っているのだ。光が優しい。
ここもアボリジニの聖地の一つだが、納得だ。
エアーズロックへ登頂
日の出前にキャンプ場を出て、エアーズロックに登りにいった。
急な鎖場を登り、頂上へ。頂上からの風景は自分が神になったかのようだった。
眼前に広がる大地はここから形勢されていったのではないのだろうかと思ったほどだ。
そして、オーストラリアの旅が終わったかのような気にもなった。
約3時間ほど頂上で景色を眺めていた。気温が上がる前に登頂してきた観光客は皆いなくなった。
暑さだけでなく、ツアーバスの時間の関係もあるのだろう。
だれもいなくなった頂上でいろいろと物思いにふけり頂上を後にした。
無理せずに万全の準備で挑んでほしい
パースからここまで俺はビールを飲んでいない。それはここで格別の酒を味わいたかったからだ。
リゾート内のパブへキャンプ場で知り合いになった人達とパブへ飲みに行った。
ここまで来れたことに感謝し、これからまだ続く旅の前途を祝して乾杯!
お互いの苦労話しに花が咲く。その中で聞いた一番危ない話しがこれだった。
そのライダーは、バイクトラブルが起きた後に2日ほど誰とも会わず、水が尽きた。
本当に死ぬかと思ったということだ。
ストックルートを含めて、メジャーな道は1日に何台もの車が通る。
事故して怪我を負わなければ死ぬ事はないと思うのだが、彼は本当に車の走らないマイナーな道を走っていたらしい。
本当に死ぬ一歩手前までいっていたそうだ。
実際死んだら、バカな日本人ライダーが…と新聞が書き立てるに違いない。
実際この手の話しけっこう聞くので、装備だけは注意してほしいものだ。
平均して、日本人ライダーよりも外国人ライダーの方が、水や工具をしっかりと持っている場合が多い。
万全の準備で大自然へ挑むべきだ。
バイクが不調ぎみでダートへ行けない
大満足の内に俺はエアーズロックを後にして、来た道を引き返し始めた。
二度目の道だから単調さは倍増だが、時間の流れは早く感じる。まだ夢うつつなのだろうか。
ウーダナダッタトラックへの入り口へ差しかかったが、俺はダートに入る気がもうしない。
特に面白そうなダートでもなさそうだし、入った所で景色は同じだろう。
死にかけた話しを聞いて少し臆病になっていたのかも知れない。
オイル上がりの不調でバイクのエンジンは止まるとは思えなかったが、少しのトラブルが命取りになる可能性もある。
とにかく俺はこのときダートへ入るのをやめてポートオーガスタの町へ戻って来た。
この分岐の町で、これからの行き先を決めなければならない。
俺の考えているルートは二つ。一つは内陸の寂しい道を通り、シドニーとブリスベンの間に出るルート。
もう一つはタスマニア島へ渡ってからシドニー経由で帰るルート。
タスマニア島は緑の美しい島でや旅人が絶賛する島なので行ってみたい島の一つだった。
しかし緑溢れる土地がオーストラリアの旅のイメージと掛け離れていた。
おそらく今タスマニアへ行っても、感動せずに移動しているだけになる予感がする。
悩んだ末、内陸ルートに決めた。それよりも荒野の大地をもっと知りたい。
内陸へ進路を取った
内陸へ入り始めてすぐに後悔した。
何でこっちのルートを選んでしまったんだ!景色もなにも変わらない!!
単調な道がもうナラボー平原からずっと続いている。飽きたー!
バイクのような高速に移動できる乗り物があってもそんななのだから、昔の冒険者達は何を思って旅をしていたのだろう。
どこまで行っても変わることのない景色。よく気が狂わなかったな。
冒険団のリーダーは常に考え行動し、忍耐強いから大丈夫だろうが、それに仕えている下っぱ達はどうだったのだろうか。
いろいろ考えてみると面白い。
緑は素晴らしいものだった
海沿いの道に出る手前にニューイングランド地方という所がある。
ここも一風変わった所だった。
いままでに見た事のない木が生え、オーストラリアの町の雰囲気とはすこし違った。
再びオーストラリアの地を踏んだら俺はまずここへ行ってみたい。
アーマデールという町なのだが、なんと説明すればいいのか分らないが、心をくすぐった。
もしオーストラリアに住むならここだとも思った。
いままでの旅の疲れを癒してくれる、そんな土地だった。
ここまで来ると景色がガラッと変わる。
牧場の草は緑だし、心なしかそれを食べる羊や牛達も元気そうだ。
緑を見ただけで自分の心が安らいでいくのが分かる。緑が心地良い。
出発して半年、ブリスベンへついに戻り、オーストラリア一周完走!
ついに一号線に出た。看板には常にブリスベンの文字が出てくる。
涙は出なかったが、涙がでるほど嬉しい。旅が終わってしまうことより一周出来る喜びが大きかった。
早くブリスベンに戻りたい。
ブリスベンで生活していたときお世話になった家族に電話をし、今日は彼の家に泊めてもらうことになった。
電話で聞いたその声は懐かしいの一言。
思えば長かった。ブリスベンを出てからもう6か月になるのだ。彼に会ったらなんと言おう。
旅をどういう風に伝えよう。
サーファーズパラダイスを過ぎると、何度も通ったことのある道になった。
バリーの家に行く前にブリスベンの市内を走る。
よく行った食べ物屋、デパート、黄色いバス、何も変わっていない。何もかもが懐かしい。
帰って来たんだという実感がだんだんわいてくる。そして、ついに一周したぞと叫んだ。
皆でディナーを取りながら、旅の質問攻めに会う。うまく話せない英語にもどかしさを感じる。
何もなかった生活から、TVを見たり、音楽を聞いたり、都会の生活に戻った。
その夜、その家族のの知り合いがたくさんいる場所へ行った。
出発前はあまり打ち解けられなかったが、今はいとも簡単に打ち解けることが出来た。本当に戻って来た実感がわいてきた。
お世話してくれたBの車に乗る。ボロボロの彼のフォードは、新車に変わっていた。
あとがき
ブリスベンに到着した時、バイクはすでにかなりの煙を吐くようになっていた。
洗車をして、何カ所も折れたフレームをシルバーにペイントした。
そして写真を撮りまくってブリスベンで一周に使ったバイクを売った。本当にありがとうXLV750。
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